「戦後」という言葉が死語になり、戦争を体験した人も減り、かって神戸が焼け野原になったことを知る人は減ってきました。

 

手塚治虫氏の「アドルフに告ぐ」、

野坂昭如氏のアニメにもなった「火垂るの墓」、

妹尾河童氏のテレビドラマや映画にもなった「少年H」

などに神戸大空襲が登場しますので、ご存じの方もおられるでしょう。

 

私は亡くなった父親から、神戸大空襲のことを「終戦で、神戸駅に帰ってきたら、一面焼け野原だった」と聞かされたことがありました。

でも、実態は何も知らずに今まで生きてきました。

 

ふとしたきっかけで、神戸大空襲の慰霊碑があることを知り、

「忘れてはいけない事がある!」

との想いで、神戸大空襲の記録を探し、市内の慰霊碑を数か所訪れてみました。

 

なお、Wikipedia に当時の写真が掲載されていますので、リンクを貼ります。

(著作権の関係で、ここに写真を貼れませんが、ご理解ください。)

 

 

 

 

最初は、兵庫区今出在家町の薬仙寺にある「神戸大空襲犠牲者慰霊碑」です。

 

碑文によると、1945年(昭和20年)3月17日と6月5日の大空襲で、市街の大半を焼却し、犠牲者は

約1万人であったと記述されています。

約10トンある碑石の奥にある”卍”は、焦熱地獄の熱風と平和の風を象徴しているそうです。

また、隣には福原地区で働いていた女性たちの犠牲者の供養塔もあります。

 

次に、兵庫区中之島の大輪田橋の東端にある「大輪田橋戦災・震災復旧モニュメント」に行きました。

3月17日の大空襲で、水を求め、大輪田橋に避難した市民500名以上が炎にまかれ、犠牲となりました。

大輪田橋には、そのときに黒く焼け焦げた跡が今も残っています。

 

そして50年後の1995年1月17日、阪神淡路大震災で親柱が崩れ落ちました。

戦災と震災を経験した石材をモニュメントとして神戸市が設置したものです。

神戸は過去に2度も壊滅の危機に遭ったのですね。

 

橋のたもとに「戦災殉職者慰霊碑」が建てられています」。

出在家町協議会が昭和22年9月に建立し、命日に慰霊祭を施行していると書かれています。

「あの悲惨な状態、猛火のもと恐怖と悔しさの地獄図は日本人として未来永劫、忘れる事は無いでしょう。」ともあり、私は忘れそうだったことを恥じるばかりです。

 

次に、同じく兵庫区東柳原町の柳原天神社にある「レリーフ」を訪れました。

 

当時の日本電信電話公社神戸中央電話局兵庫分局職員であった慰霊碑です。

5人の乙女の名前が刻まれ、老人も若者も子供も、男も女も、無差別に犠牲になったことが分かり、

戦争の残酷さが伝わってきました。

 

次に、兵庫区永沢町にある妙法華院を訪れ、「神戸空襲犠牲者の霊供養塔」を探しました。

 

ご覧のように5本の供養塔が建てられています。

国の記録によると、上部が焼夷弾で欠けていると記載されていましたが、修復されたのでしょうか。

 

中央区の大倉山には、「いのちと平和の碑」が建てられていました。

2013年に建立された、まだ新しい碑で、裏面に犠牲者の名前が彫られていました。

 

碑文によると、「街を焼き尽くすために、焼夷弾を用いた(略)、神戸港の沖への機雷や模擬原爆の

投下もおこないました。」と記載されています。

これが事実なら、神戸に原爆が落とされた可能性もあったかも、ということで戦慄を覚えます。

 

最後に、中央区八幡通にある小野八幡神社を訪れました。

以前からこの神社の前を通り知っていましたが、慰霊碑があることは初耳です。

神社は新しく建てられた高層マンションの奥にありました。

マンションの隣に鳥居があり、そのすぐ下に慰霊碑はありました。

こちらも、日本電信電話公社神戸中央局の葺合分局の職員7名の慰霊碑です。

やはり、7名の氏名が彫られています。

神社の方に伺うと、かっては毎年慰霊碑にお詣りする人がおられたそうですが、最近はほとんど

来られなくなった、とのこと。

やはり、語り続けることの大切さを実感しました。

 

他にも、須磨離宮公園や東灘区深江北町の本庄墓地にも慰霊碑があるとの記録があり、

改めて訪れたいと思います。

 

米軍がこの神戸空襲から焼夷弾を使った焼き尽くし戦術に転換した理由を、私はまだ分かって

いませんが、軍の施設を狙った空襲が一般市民を巻き添えにした殺戮に変貌したことは、後世の

ベトナム戦争での枯葉剤散布を想起せざるを得ません。

そして米軍は原爆の投下という、人類史上最悪の戦争犯罪を犯しました。

 

戦争の持つ残酷性や狂気の沙汰に、底知れない人間の怖さを感じます。

 

もし、私が米軍の責任者で、抵抗を止めない日本を降伏させるために、国際法で定められた

ルールを破ってまで、焼夷弾による焼き尽くし戦術を採用する誘惑にかられたら、実施してしまう

かもしれません。

 

平和」を叫ぶだけでは平和になれない。

 

私自身が何をすべきか?

これからも、考えていきたいと思います。