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今回、鬱々ジメジメの時期を経て
思ったことがあります。

 

人生、何が大事って
自分をちゃんと立たせておくことほど
大事なことはない。

自分を見ること。
自分を感じること。
自分を知ること。
自分を受け入れること。

それなしには
どうやっても満足のいく人生は送れない。

それさえできていたら、
何があっても
たとえ波にのまれたとしても
まぁ、そのうち戻ってこられる(笑)。

感情の波は、
どんなにのまれても
もがいても
死ぬことはないのです。

自分から進んで

そっちに向かって行かない限りは。

幸せになる、と決めないと

幸せになれないように、
絶対不幸になる、と決めない限り
人は不幸になれないのです。


つまり私は、
うつうつぐるぐるしたい、と決めたわけだ。
そして、その通りの現実を起こして
うつうつした心境を

ブログにしたためてみたわけだ。

望み通り。





命式の日柱にある、空白のマス。




ここには、全人類、同じ星が入ります。

それは、比肩


この世に産まれた存在は全て
比肩の星を持っている。

比肩は、自立の星。
私がいる、

私という存在がここにいる、

ということを
ひたすらに感じたい星。

全人類にとって
最も大切な星。


ここが空白になっていることが
私にはもはや
何かの陰謀に思えてくる。

ここを空白にすることで
自分には自立心がない、と思う人が出てくる。
自立心はある人とない人がいる、

という前提になると
星への解釈が変わってきてしまう。



違うんだよ。
全員持ってるんだよ。

ものすごく大事な星。

なのに(だから、なのか?)
ひっそりと隠されている。

時の権力者たちの陰謀としか思えない。。。





私がいる。
私がここにいる。

それを自覚しないと、人生は始まらない。

それを感じるために産まれてきたんだから。



いつかみんな神のもとに還るとしても
源では一つにつながっているとしても

それでも私たちはみんな
個を感じたい、という

根源的な欲求を持っている。

それがあるから、産まれてくる。





私は妊娠中に

お腹の胎児と会話していました。

その頃のタイジには
個という認識がありませんでした。
神様みたいなことばかり言う子でした。

でも、産まれてきたムスメは
当然のように

自分という個を意識し始めて、
自分と目の前の人は違う、という前提で
世界を見るようになりました。

そういう風にできている。
人はみな、そういう風にできているのです。





空白だから、みんな意識しない。

だけど本当は、一番に気にしなきゃいけない星。

いちばん大切にしなきゃいけない星。

日干の真下にある星だよ。
大事に決まってる。



なんで空白にするのか。
そのことが逆に
この星の重要性を際立たせるような気もする。

めちゃくちゃ大事だからこそ
隠されたのかもしれない。

例えば遠い昔、
13という数字に
わざと不吉なイメージが植え付けられたように。

常識が作られる裏には、何らかの意図がある。

そして今、
そういうことの全てが暴かれる時代に
入ってきているんでしょうな。








私は、私である。

誰とも違う、唯一無二の私である。

その喜びを感じること。
その尊さに満たされること。

それがあって初めて、
見えている星たちが活かされるのかもしれない。

この星が動き出した時こそ
他の星たちが
本来の姿を見せ始めるのかもしれない。


昼間の星のように
見えなくてもずっとそこにいる
あなただけの比肩の星は
あなたに何を語りかけていますか。