初めていらしたアナタへ、プロフィールはこちら
 
 
 

今日は、やさぐれブログです。

それでもいいという人だけ
続きをどうぞ。









今、四柱推命がつらい。

自分の命式を見るのがつらい。


なんでかって、
全然、星の通りに生きられてる気がしないから。

鑑定士の風上にも置けませんな!





原因は、月柱。

劫財が完全に止まっている。

息をひそめて、存在を消して、
すべてをやりすごそうとしている。

初めからいなかったかのように。


こんなに堂々と

ど真ん中に鎮座してるくせに!!!

 





命式は大事だ。
本来の自分の姿を知ることができる。
自分が何のために生まれてきたのか

確認することができる。

だけど、だからといって
命式に縛られてはいけない。



そういうことを
鑑定しながらずっと言ってきてるくせに
私がまんまとそうなってる。


いっそ命式なんて知らなければよかったかも。


でもきっと、
四柱推命に出会わなくても
この人生に対する不完全燃焼感は

変わらなかった。


原因もわからず、
今よりもっと迷宮入りして
ドツボにはまっていた可能性は大きい。


だから、知ってよかった。


それは本当によかったんだけど、
そして私はこの命式が大好きなんだけど。

どうやったら通変星を満たせるのか。
いや、
もはや星がどうとかどうでもいいんだけど、
とにかくどうしたら自分は満足なのか
どんな欲求があるのか、
全然わからない。


自分が本当は何がしたいのか、わからない。



しかし、お世話になっているヒーラーさん曰く、
わからないのではなく
わからないふりをしているのだそうで。
自分で自分を騙すほどの全力で、
わからない自分を演じているのだそうで。



へー。

じゃあもう、ダメじゃん。

この人生に、やる気ないんじゃん、私。






日々の小さな欲求はある。

それはひとつひとつ叶えている。

食べて、寝て、家の中を快適にして、
本を読んで、ブログ書いて、お買い物して、
散歩して、家族と過ごして、
行きたい場所に行って、

会いたい人に会って、、、

 

 

大好きなロンドンを思い出しながらお茶してみたり。
 
 

 


やっている。
もう軽く10年以上やっている。

なのに、なぜダメなのか。

それは、
これらの欲求は全て
日柱(=プライベート)のものだから。

私の日柱である傷官は動いてる。
死もはたらいてる。

幼い頃に鍛え上げた年柱の星たちも、順調だ。
時々、偏印のインスピレーションがやってくる。
ニュースを見れば正官が湧きたってくる。
沐浴は隙あらば夢を見てる。



だけど、月柱。


劫財だけが、動けない。
帝旺が立ち上がる力を生み出せない。


ものすごく、もどかしい。



命式を読めることと
それを使えることとは
全く違うのだということを
思い知らされる。


私、どれだけこの人生に適当なんだろうか。

どれだけ自分のことがわかってないんだろうか。



そして、四柱推命って
なんでここまではっきりと明快に
その人の地図を示してくれちゃうんだろうか。


あぁぁぁ・・・





今、静かに、淡々と、生活している。

そうしたら
何かわかるかもしれないと思って。
あるいは諦めがつくかもしれないと思って。

ただ、淡々と、時間だけが過ぎていく。



日常は、とても順調だ。

いつまでも海に出ることなく
生まれ育った村で

平穏に暮らし続けるウソップのように。

もしも毎日を平和に丁寧に過ごして、
村で大人になり、仕事をして、
家族を得て、友人たちと付き合い、
いつか年老いて死ぬとしたら、
その時ウソップは

どんな気持ちになるんだろうね。
 

 

 

 

 


そういう人生を選ぶ人もいる。
そういう日常の中に幸せを見つける人もいる。
でも、たぶん私は、そっちのタイプじゃない。

それは、
それこそ命式を見たら一目瞭然で。

四柱推命を知る前から
ずっと感じていた
違和感の正体も、ここにあって。




毎日を丁寧に過ごしながら
気付いたら10年くらい経ってたらどうしよう、

とか思う。
で、

相変わらず淡々と

同じところにいたら、、、


おそろしい。


でも、もう本当に、

どうしていいか、わからない。




今日は天赦日と大安の重なった
とっても縁起のいい日です。

しかし、今日だけは、
そんなことも思いっきり無視して
心の内を書きたい気分なのでした。


ここまで読んでくださって

ありがとうございました。