ガウディの話の続き。





この建築のメインは

中央部にあるイエスの塔なのだそうだ。


てっぺんに十字架のある一番高いやつ。



ガウディの意図としては、
世界で最も高い教会を作りたかったらしい。

世界で最も神に近い教会。


なんだかバベルの塔みたいだ。



私は、バベルの塔の話が

いまだによく理解できなくて、
なんで人々が塔を作ったのかも
なぜそれが神の怒りを買ったのかも
全然わからない。

ずーっと気になっている案件。


これまた完成までに時間を要しそうな建築ですなぁ。




でも、
サグラダ・ファミリアが神への反抗だとは
どうやっても思えない。
分不相応な願いだとも思わない。

そこに込められているのは

ただただ、

神に近づけますように、という
純粋な思いだ。

とすると、バベルの塔も、
別に悪いことを考えて

作ったわけじゃないのでは?

とも考えられる。

自分が神と同等になりたいとか
そういう話では全くなく、
ただ、
憧れる神のように清らかにとか
神の意志を少しでも生きられるようにとか
そういうピュアな思いだったのかもしれない。

もちろん、そうじゃないかもしれないけど。


何が、神の怒りに触れたのか。
そもそも神って怒るのか。
男性性の神だから?
だから全てを受け入れたりしないのか?
旧約聖書の神は厳しいの?
じゃあ、「イエス」の塔は新約だから

大丈夫なのかな?

とか、とりとめもなく考えてしまう。



外観はごつごつした感じだけど、
サグラダ・ファミリアの内部は

明るく光に溢れていた。
虹のようなグラデーションが

あちこちから室内を照らしていて
とても柔らかくてあたたかな印象を受けた。

内と外のギャップに、とても驚いた。





これは・・・見てみたい。
この中に入ってみたい。

やばい、行ってみたくなってしまった・・・。



柔らかな虹色の色彩を見ていたら、
私もこんな風にありたいな、と思った。

急に四柱推命の話になるけど、

私の命式は

日干が庚(鉄)で、日柱の蔵干が癸(雨)なのです。



外側は無骨な庚だけど、
私の内側には癸が流れている。


あぁ、私の命式は
サグラダ・ファミリアにも共鳴できるのか。




ガウディは、
全ての人のための教会を作りたかったらしい。

境目のない世界、
貧富のない平等な世界を望んだ。
そのために人生の全てをつぎ込んだ。

そして、
貧富のない世界を望んだ本人が、
貧富の差によって死んだというのも皮肉。
死因は交通事故だったけど、
身なりが貧しかったので

しばらく病院に搬送されず
処置が遅れてしまい、亡くなったそうだ。

きちんとした身なりだったら

もっと早く助けられていた。
そうしたら

もう少し長く生きられたかもしれない。
浮浪者のような恰好だったから

見捨てられていた。

それは、
ガウディが最後に身を挺して残した
痛烈なメッセージのようにも感じられてしまう。


ガウディの目指した境目のない世界、
それが、この虹色のグラデーションの世界。
全ての色があって、
そして全てが混ざり合って、溶け合っている。




ところで、ガウディの残したこの言葉に、
私は激しく衝撃を受けた。




「人間は創造しない。
 人間は発見し、

 その発見から出発する。」



この言葉を見た時、
ロンドンでずっと感じていたことが、
私の中で全部、美しくつながった。


想像上のファンタジーだと思っていたものは
全部リアルに存在していたこと。


そう!そうなんだよ!

人間は創造しないの。
作ったと思っているものは全部、
目の前にある風景から得た

インスピレーションなの。
既にある世界から、

見つけ出して、

それを膨らませていくだけなの。

そう、そうなんだよー!!!!
すごいぜガウディ!!!
やっぱり天才!!!


私がぼんやりと思っていたことを
ズバッと言葉にしてくれていたガウディに
感謝と尊敬の念が沸き起こりまくった。

あぁぁぁ、すごい人だなぁ。
やっぱりすごい人だ。

だからこそ、
彼の意志を継ぎ、
時代の波にも負けず淡々と作り続けていく人が
こんなにたくさん現れたんだ。


というわけで、
テレビを見た後で

ガウディ展にも行ったのだけど、
もうこれは

実物を観に行くしかない気がしてきた。


国立近代美術館でやってるよ。




サグラダ・ファミリアの完成予定は2026年。
この時代に産まれてよかったと

心底思っている人が
世界中に山ほどいるんだろうけど、
私ももれなく、その一人です。


しかし・・・


スペイン、高騰するだろうなぁ。
どのタイミングで行けるだろうか・・・