昨日のブログで、
今回私に降りかかった、現実が止まるという出来事が起こった理由は
『今の私には、現実があって無いようなもんだから、それを見たくないばかりに、霊魂(精神)に逃げているんじゃないか?』
と、書きました。
この「現実があって無いようなもの」の正体は、理的結婚による間接人生のことです。
『「間接人生」とは周りを活かすことによって自分自身が生きる形のことです。結婚したら周りを活かすことが自分の人生の目的となることで結婚生活を成り立たせてゆきす。
具体的には、夫が成功していく姿をみて喜びを感じ、子ども達の成長を楽しみにする生き方です。』〈青龍塾スピリチュアル算命学講座・結婚占技より引用〉
ただこの理的結婚の条件としては「妻は主観的(陰星過多)であること」なのですが、主観は20%ほどしかない私ですが、その星が調舒星中殺と司禄星なので、なんとか踏ん張っていられているのだろうと思っています。
「過去の自分の犯した罪を償う」という私の気持ち(調舒星)+積み重ね(司禄星)で生きています。
もちろんこのカタチは最後まで変わらない(方がいい)のですが、長年厳しかった夫が徐々に優しくなったり、子どもが成長して手が掛からなくなったりと、状況は少しずつ変化していってます
娘は昨年、年支納音の年でした
一応私の中では、ここをひとまずの着地点と定めていて、この地点での精神的にも現実的にも自立した姿を目指して成長を楽しみしておりましたが、みごとクリア出来ていたので、ひとまずセーフ、ほっとしているところです。
20%しかない主観星(司禄星+調舒星)を、フル回転させての間接人生ですが、
よくよく見てみると、宿命の大事な場所である月干と年干(人生の目的、役割)の星が「家族の改革」と読める龍高星と司禄星で、、、
いま気づきましたが、私がブログに書けることが家族のことしかない理由がここにありました。
今の私の世界は家族一色ってことです
仕事も夫のサポートだし
自己循環の中身もこれだけ
ほかの世界がない
私は家族という狭い範囲の中で生きて、そこで算命学を使っていたのですね
以前、一時占い師を目指して、、、いたのですが、それは単なる苦しい現実からの、、、まさに逃げの口実
天中殺の力を借りて、スタートしてみたけど、すぐ間違いだと気づき、すぐさま退散しました
今、子どもの成長が一段落したあとは、夫がどう変化していくのかを、楽しみに過ごしています
というのも、夫の日干支は22番
この干支、祇王の業を持つという三業干支のひとつで
実際ここに書かれているようなてんやわんやの結婚生活でもあったので
「晩年にはこの業は消えて平穏な生活を送ることができる。」
という、この変化を観察することを目下のたのしみにしています
「月干の龍高星が楽しみにしている」といったところです
算命学を勉強すると、その人のことを良く知ることが出来ますが、それはわたしは人一倍、家族一人一人のいいところを知っている、ということであります
その「いいところを最大限に引き出したい」ばかりに、長年かけてそれを人生の仕事として、取り組んでいる、、、というのが今の私で、それが私の本望です
私自身は、陽の目を見ず、地味で苦しいことばかりですが、その先にしか達成しえないものなので、なんだかんだブツブツ文句を言いながらやっています
世のお母さんの半数以上は、この間接人生を歩んでいると思うのですが、賢いお母さんは黙ってやってます
が、
私はひとりごとでの文句が多いです
なんか話がズレてしまっていますので、元に戻します<(_ _)>
祇王の業は解かれるのか?!
夫の運勢と今の状況から読むと、あと5~6年ほどの間に一つの答えが出そうな気配を感じています
今回起こった現実を知らしめる出来事は、
霊魂(精神)に逃げているのではなく、改めて自分の霊魂の目的を確認させるための啓示でした
今の私の現実は、人間☆AZU★からみれば、辛そうで逃げてしまいたい環境ではあるのですが、
実は私の霊魂が望んでいる環境なのでした
☆AZU★よ、、、
あと5年、、、、
あと5年待つのだぞぉ、、、(シトシトピッチャンシトピッチャンシトピッチャン♪)