いま検証している「大衆価値論」というのは、占い以前の基礎的な算命学理論のたくさんある中のひとつです。

 

 

 

自分の霊魂の素の素みたいなところの価値のこと。

 

 

 

 

自分の霊魂の素は、生まれた年、生まれた月、生まれた日の干支3つの中にある数個の干

 

干支の中身はバラエティに富んだ十干のつめ合わせで出来ています。

 

 

 

「大衆価値論」というのは、その十干ひとつ一つがどんな性質なのか、それはどういう本能なのか、どういう役割となって、どう実行すればいいのかというものでした。

 

 

これでわかるのは、

生まれた瞬間のまだ自分色のついていない霊魂の様子です。

生まれ落ちた環境に着色される前の、まっ白なぬり絵の線画の様子。

 

 

 

十干というのは、元はバラバラの十種類の”気”ではありますが、肉体に入るときは、集合体のカタチをとらないと入れない仕組みになっていて、その自然の法則は60パターン(神さまが60体)あります。(大衆価値論は60干支の説明に続きます。)

 

 

 

 

肉体に入った瞬間から、個々人それぞれに周りの人や環境の気を引き付けて、色づき影響され始めます。

単なる”気”から個人の霊魂へと姿を変えていきます。

 

そして死ぬまでという一定期間、その肉体内にいる間、周りの気や霊魂と、融合&分裂しながら霊魂として勝手に自分の仕事をします。

 

 

その個人の裏で動いている霊魂に、個人色がつく前の“素”の段階の”気”が、大衆価値論でいうところの役目(=本質=自然から与えられた本能)と行為(価値)にあたります。

 

 

これは大事な”生きる素”で、この世に生まれて来た意味のひとつです。

 

 

 

自分に与えられたベーシックな生きる意味で、大筋として人生の羅針盤の針が向いている方向となります。

 

十干が役目を、その発揮の仕方を十二支が教えてくれています。

 

 

 

 

 

その続きに大事なことが書かれてあるので、掘り下げてみたいと思います。

 

 

『そこで本能は十干という空間の符号にあてはめ、役目として出発したわけですから、役目を発揮する方法は理性的(陽)に行うか、情性的(陰)に行うかのどちらかになるわけです。

 

しかし発揮する、現わす、表現する、などの行為はすべからく伝達本能によるものであり、諸々のエネルギーが伝達本能というパイプを通過して社会に現わされるわけであります。』〈原典算命学体系第2巻大衆価値論より引用〉

 

 

 

自分の役目を発揮したり、現したり、表現したりすることは、理性的に行うか、情的に行うかは、十二支をみればよかったのですが、それらを行うことは、すべて自分の持ち合わせている本能の中の「伝達本能」によって社会に表されることになります。

 

なるのですが、「役目から → → → 伝える」 までの「→ → →」の流れ方によっては、伝わり方が真逆になってしまうことさえあると書かれてあります。エッソッソンナ不安

 

 

せっかく役目を果たしているのにもかかわらず、真逆に伝わるのは残念すぎますね。

 

 

 

 

 

ちょっと長くなったので、次回につづきます<(_ _)>

 

 

 

 

 

 

 

まちがい・かんちがいは多々あり

そのうえ自論&推測のおまけつきで

同じことをなんども書いては消しをくり返す始末

さらには考え方も変化し続ける進化系

究極はブログ管理が出来ておらず

テーマはあってないようなありさま

また内容のわりにタイトルがかたく

読むとズッコケるパターンではありますが

勉強中につきナニトゾご容赦ねがいます

<(_ _)>

 

 

 

記述のない『青文字』内、図、グラフ等は

青龍塾の講座、青龍先生のブログより引用しています

<(_ _)>

 

 

『紫色の文字』は原典算命学体系より

引用しています

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