こうあるべき姿(存在の仕方)はみつかりました。

 

ので、その次です。

 

 

じゃあ自分は、、、ちょっと不満 

 

 

この宿命で生まれた自分には、いったいどんな価値があるのだろうか?

 

 

 

 

目の前に流れてくる不運や問題の数々に、

 

どう向かえば自分が役に立っていると感じるのか。

 

 

 

 

処理の仕方、反応の仕方は、個人によってそれぞれでいいのですが、そこに本質的、本能的役割みたいなものを見出すにはどう考えればよいのか。

 

 

本質、本能、、、

 

 

ここにこの宿命で生まれて来た意味、役目、この世に存在する価値みたいなものがあるんじゃないかと思うのです。

 

 

 

 

ということで、こうあるべき姿(存在の仕方)の次は、

 

この仕事は君じゃなきゃダメなんだよ~的な、この宿命の持ち主である私の価値(存在の価値=宿命の価値)について、探ります!

 

 

この宿命だからこそ出来ること、そこに価値がある。のか?!

 

 

 

 

 

原典の2巻に「大衆価値論」というのが出てくるんですが、ここに私が求めていた答えがありそうなので少し紹介してみたいと思います。

 

 

算命学はたくさんの理論を重ねて答えを導き出していきますが、これもその理論のひとつとなります。いろんな占技ができる前のベーシックな考え方ということです。

 

 

『ここで言うところの価値とは、その人の人間全体のものではなく、いわば行為の価値を論じるわけで、人間性を別として、その人物が何を行ったかが問題となるわけです。

人間の行為は、役目ともいえるわけですが、人生の役目と価値とを直接結びつけて論じることは出来ません。

なぜならば価値とは、あたえられた役目を如何に上手に実行(行為)するかによって決まるわけですから、正確には役目そのものの価値を判定することは出来ないのであります。』〈原典算命学体系第2巻大衆価値論より引用〉

 

 

人間性を別として、、、という断り書きに、本能、本質めいたものを感じます。

 

 

人間の行為は役目だけど、直接結びつけて考えてはならないと。

 

価値は役目そのものの価値ではなく、その役目をいかに上手に実行するか、というところに価値がある、、、

 

このまま読み流してしまうところですが、この役目の実行の上手い下手は、人間社会のものさしで書かれてはいません。

 

あくまでも陰陽五行の相生相剋、自然界がものさしです。

 

上手にやったからといって、人間社会で100%受け入れられるものではないということを知っていなければならないと思います不安

 

 

原典にも、決して一つの世界で捉えてはいけないと。

 

たとえば、人に迷惑ばかりかけるような人がいたとしても、それは十分に価値を発揮している場合もあると書かれてあります。

 

 

『ここで言うところの価値とは、その人の人間全体のものではなく、いわば行為の価値を論じるわけで、人間性を別として、その人物が何を行ったかが問題となるわけです。』

 

 

持って生まれた本質・本能を十分に発揮しているか?ということですね。

 

 

 

 

 

客観的に捉えるとそうなのかもしれませんが、では自分自身としてはどうなんでしょうか。

 

 

原典を読み進めてみると、人間個人、自分自身が自分に対して、価値があるかどうかを感じるのは「心の満足度」であると書かれています。

 

 

 

そりゃそうですよね。

 

 

自分が自分であることに満足できるのは、心以外にないですよね。

 

 

 

人間は、心で気(霊魂)と肉体をつないでいます。

 

 

心を通って、気(霊魂)が行為(肉体)として表れるのが人間です。

 

 

その目に見えない器官としての心は、どういう時に心の満足を感じるのか?

 

 

 

 

 

 

それは、

 

 

自分の本質をゆがめないで、

その本質が活かされることで満足する

 

 

ゆえに、

 

 

人間個人にとって価値とは、個人の本質に帰する、となるそうです。

 

 

 

 

 

人間はこの世の道具として生まれている、とよく思うのですが、

 

これとかも、本質をゆがめないで活かされることが大前提の言葉です。

 

 

 

では個人の本質とは、、、?

 

 

 

 

 

と、その前に、この世に生まれて来た意味である「価値」と「役目」について考えてみたいと思います。

 

 

 

この位置関係なんですが、

 

大衆価値論の中では、役目は縦線、価値は横線で、役目と価値を直接結びつけてはダメだと書かれてありました。

 

役目そのものが価値ではないですよ~と。

 

 

 

価値とは、横線=動=現実=時間=有形の中で、何を行ったか⁈という人間の行動・行為の中にあるもので

 

 

 

役目は、縦線=静=精神=空間=無形

 

また、人間の役目は、人の役に立ったり、生きるための職業でもなく、個人の本能から発せられるエネルギーのことで、おのずからあふれ出る本能だとあります。

 

算命学では、その本能を5つの型、本質、方向、色などで、表しています。

 

 

 

与えられた役目(縦線)を、いかに上手に実行する(横線)かという位置関係、縦と横が交わるところに価値が生まれるってわけです。

 

またそこで人間性を問うてはならないということで、人間全体ではなく、あくまでも行為の価値だということです。

 

 

 

 

頭がこんがらがってきました~絶望

 

 

 

 

次回に続きます<(_ _)>

 

 

まちがい・かんちがいは多々あり

そのうえ自論&推測のおまけつきで

同じことをなんども&

書いては消しをくり返す始末

さらに考え方も変化し続ける進化系

究極はブログ管理が出来ておらず

テーマあってないようなありさまですが

勉強中につきナニトゾご容赦ねがいます

<(_ _)>

 

 

 

記述のない『青文字』内、図、グラフ等は

青龍塾の講座、青龍先生のブログより引用しています

<(_ _)>

 

 

『紫色の文字』は原典算命学体系より

引用しています

<(_ _)>