有願と無願
有願とは、自分の本質という、自分そのものから生まれてくる願いではなく、自分とその環境・境遇のあいだに生まれてくる夢や希望、または不満からくる欲望のこと
無願とは、自分の本質から生まれてくる願い、この世に生まれた真の役割
他力的な願いか、自力かの違い
人間はまず、有願を燃やすことになるのですが、その有願の中には、いいものもあればよくないものもあるけれど、とにかくすべてを燃やしてしまわなければ、無願にたどり着かないということです
いろんな欲望を燃やしながら、30年40年かけて自分を知っていく、そして自分の本質にたどり着く、、、
生まれ落ちたところが、貧乏な家庭だった ➡ お金が欲しい(有願) ➡ とにかくお金を稼ぎまくる ➡ 成功してそのうちお金持ちになる ➡ その時「私は本当にお金がいちばんな人生でいいいのか?ほかに大事なものがあるんじゃないか?」ということに気づき始める ➡ 有願が燃えて尽きて、自己の本質が顔出しはじめ、やがて無願が浮かび上がってくる
そこから、その無願が何段階もあるとのこと。
自分はというと、いろんなものを欲しがって、手に入れたり、入らなかったり、でもだんだん歳を取ってくると、物欲がないわけじゃないけど、薄れていくのは確かで、だけど無くなり切っているわけじゃないから、非常に中途半端で
要は、まだ本質に立ち返ってはいない
「無願」を知らなければ、「私の人生こんなもんかぁ」とか思いながら、このまま変わらぬスタンスで歳だけ積み重ねていきそうだけど、「無願」にたどり着きたいから、残った有願をちゃんと最後まで燃やし切ろうと
今、そう思った
いつまでたっても欲深いなぁと半分自分に嫌気がさしていたが、これも自分の本質に立ち返るためだから、しかたがないのだ
なんか大義名分になったのか、その願いをかなえようとするやましさが急に無くなった
先日、父が亡くなって、、、
うやむやになっていた母&実家プラスαの件(跡取りおらず)
葬儀で現実が浮き彫りなった(家系の気の流れ)
私がもらったらおかしい(無理&無理やり感ハンパない)
どう考えても、妹が引き継いでくれるのが、いろいろ諸々すべてにおいて自然の流れを感じる(父母と妹家族の気の色合いがいい)
子丑生月の長女と、申酉の次女(長女だから...というのはもうない)
名残惜しいし、退路を断つ不安もある(そりゃいまでもある)
だけど決心した(なにも決まってないけど、先に進むため)
自分がいいではなくて、みんながいいがやっぱりいい(ありがたや)
すべてがそっちを選べというような流れになっている(これが神さまの意思なのね)
子丑らしく”行動”で母へ恩返し
いつ無願へたどり着けるのか、
まだまだ道のりは長そうです。