過去のことを宿命や運勢に落とし込むと、驚くほどピッタリしていて今でもびっくりすることがある
まぁなんとすなおに霊魂に振り回されて来たんだろうと
長いスパンであればあるほど、それははっきりとわかる
はっきりというのは、その過去の出来事に意味を見出せるようになるからだ
意味があるからっていったって、当時振り回された周りの人たちからしたら、たまったもんじゃないんだろうが、いやそれでも、すべての出来事にはちゃんと意味があるんだなって、しれっ顔で言える ⇦シヌホドジブンカッテナヤツ
もちろん自分自身がやったことに間違いはないのだが、算命学で自分を客観的に見れば見るほど、人間でありながら、霊魂主導で人間界を生きて来たんだなぁと感じる。生きづらいったらありゃーしない自分勝手な生き方が生きやすいかって言ったらぜんぜんそうじゃないんだよぉ
何が言いたいかというと
主導していた霊魂、その霊魂にも陰陽あって、魂と魄
魄(ハク)とは、人間垢(因縁・情念)のついた魂(コン)のこと
人間界に生まれた以上、生まれた地点からみんなの霊魂に人間垢はつき始めるんだけど、霊魂にとってそれは必要なくて、落としてほしいと願ってる
「そんな垢まみれの重い身体じゃ、天空まで帰れないし、神さまの声も聞こえてこないよ。」(こうやって人格化するのは良くないんだけど)
この人間垢を削ぐためには、苦しみの中を通る必要があって、そのために、霊魂KAZUEが過去と宿命を鑑みて、「これじゃいかん、垢が付きすぎてるぜそれになんだこいつは雪だるまみたいに自分みずから転がって培養活動してるじゃないか!」と、運勢の荒波に人間KAZUEを投げ入れたのでありました
まるで「獅子の子落とし」だ ➡ 転じて「霊魂の人間落とし」えっ
霊魂は、運勢の力を借りて、自分の宿主を千尋の谷に落として、成長させることが目的。
成長とは、解脱し次元が上がることによって、人間ではなく、自然のしくみの中で生きれるようになること。
すなわち「魂」で生きること。
霊魂KAZUEの計算通りに、波のトップで人間社会からはじき飛んで、落ちたところがゴツゴツとした岩場、それでもまた波に乗りに行って、、、をくり返すこと数回
最後には足腰立たなくなって、岩場で揉まれ、おかげで人間垢は削がれ、まぁるい石っころになりましたとさ。 まだ道半ばですが、、言う意味があってほしいと願いながら、、、です
なぜこんなことを書くのかというと、
いま、青龍塾であたらしい占技を習いたてホヤホヤだから復習してみました!
その中で先生が
『天中殺も三合会局も霊魂が登場する機会とみれば、そこで成し得たことは霊魂が喜ぶこと=人間社会では無用のこと。
人間社会「ここはあんたが成功できる場所ではないんだよね」
霊魂はこうした形で否定される必要がある(人間にとっては一つの苦しみを通過する)という観点で運勢を観ていくということだと思います。
私論ですが、地支の霊魂は継承された「魄」(魂に戻れずに輪廻している魂)とすれば、運勢によって崩されることを必然(人生は苦がデフォルト)となるように思います。
ここで解かれている運勢の連鎖は「魄」が削がれて、次元を上げるための仕組みと考えるのがいいように思います。』
そうしてどこに向かうかというと、、、、、
苦のない世界です
かつての東洋
算命学が生まれた古代中国時代
われわれ人間がもともと居た場所
東西南北の東
朝陽と共に動ける位置
こころが空の世界です。
そこには、自然と共に生きる、苦しみのない世界があります。
まちがい・かんちがいは多々
そのうえ自論&推測のおまけつきです
勉強中につきご容赦ねがいます
<(_ _)>
記述のない『』内、図、グラフ等は
青龍塾の講座より引用しています
<(_ _)>