合い間におもうこと
今年になって読み始めた原典算命学体系。
今のペースで読むと一生かかっても時間が足りないような気がするが、自分の霊魂的には、遊んでも遊んでも遊びきれないほどの、おもちゃを手に入れたようなそんな気でいる今日この頃です。
私の宿命は、隠れた星も合わせると、霊魂の約3分の1は龍高星で出来ているので、今までは自分の大命題「どう生きるか」を、実際の生活の中で、あれでもない、これでもないと、思い立つ選択肢を端から試していた。
才能スピ算エクセルに聞いてみると、
自分勝手に探し回るのだから、ひとりぼっちになるのは致し方ないことだと、これを読めば一目瞭然。
現実の自分を差し置いて、霊魂主導で放浪するものだから。。。。
ただこの龍高星の霊魂的には幸せにどっぷりつかっているってこと
それを証拠に大1旬から龍高星は稼働していた。(3旬まで)
おまけに中央の調舒星は1旬こそ剋線だが、2旬から7旬までずっと稼働状態が続く。
調舒星の稼働に関しては、この赤線部分がずっと稼働状態にあると、自分のことに神経質になってしまうので、ひとりぼっちはイヤだけど、ひとりがいいとなるし、当然人間的幸せ感は低い。
これも人間的自分を差し置いて、勝手に霊魂がエンジン全開になっている感覚だ
私の星図には木・火・土・金・水と全部そろっているので、五宮同均型といって突出した能力が出にくいタイプだが、
この最後の二行がビンゴすぎて泣けてくる(笑)
このスピリチュアル算命学の才能占技は見事としか言いようがない。
自分の幸せがわからなくなってしまったら、一度これを受けてみたら、きっと視界が開けてくると思う。
視界が開けたところでどうするか?
ここで、今後「どう生きるか?」
東の星を見てみると、北天運では4位と落ちるのですが、車騎星、
これをどう生かすか?
行動を持たない....知性による....戦略家....というところで、この算命学を使って、「埋もれている才能の発掘、開発」をしていく。
誰かに占ってと頼まれた時、その人のいいところ(才能)、自分では気づいていない才能を伝えて、その意義や使い方、それを使ってどう生きるか、ということばかり強調してしまうので、今後そういった人たちとの出会いがあれば活かしていきたい車騎星です。
1~3旬まで剋線で大4旬からずっと稼働する司禄星
北の星なので、大事な星ではあるものの、若い時は使いにくい。
蓄積、収集、引力の弱体化.....やっぱりな。って感じです。
この星くらい普通に稼働してくれれば、現実をやっていく杖になったはずなのに...司禄星までも、この人間KAZUEを裏切るのか.....
この星に関しては、いままで算命学で、子育て、夫育てをやって来た感覚があるので、中の2行はピンときます。ほんとうに時間をかけて、染みこむように、チャンスをうかがいながら、見守りながら、その人の基礎となる部分を育てながら、才能をピンポイントで伝えていく、ここに司禄星の蓄積の要素が生きているという感じです。
実子、他人の子区別なく....これは、実子も、夫も、そうなんですが、その関係性を越えて、神さまから授けられた宿命を最大限発揮することが出来るようにサポートするのが、私の役目だと思っているので、相手がだれであっても同じかなと思います。
車騎星と絡めて活かせたらいいなと思います。
最後、、、3割を超える自我強の私なのに、北天運では最下位の貫索星
本当にピンとこない北天運の貫索星。。。
霊魂の3割はこれなのに。。。
いままで龍高星を駆使して集めて来た、体験的情報で作られた私の貫索星
今ここで思う、、、
青線の部分を自分に置きかえてみます。
龍高星の体験で得られた生の情報が、算命理論を裏付ける形で自分の中で確固たる思考(精神的知性)となり、自分自身を長い間支えていた、、、、
そう考えれば、確かに稼働していたんだなと、今判明!
子丑天中殺、玉堂星なし、牽牛星なしの宿命からなのか、2行目以降はピンとこないが、赤線の学術的文献の保全業務、、、算命学のことなの?
龍高星過多のわりには、算命学に関しては、玉堂星的に学ぶことが出来ていると我ながら思っています。
こういう風に考えると、才能占技というのは、今後どう生きていくか?を考える時に非常に役に立つ占いです。
今日のタイトルの
【才能占技】霊魂の幸せ=霊魂の稼働は、人間としての自分のしあわせと反比例する⁈は、私の場合、北天運らしくほぼほぼ霊魂主導のもと、そのように星が稼働していることがわかったので、大いに納得です。反比例まちがいなし!
よって、社会的成功は無理なので、現実的には西天運の夫を頼って、今日もおいしいラーメンを作ります!
以上わたしのぐるぐるバットの中身でした。
頭の中と現実は遠く離れております。。。m(_ _)m
▶算命学を勉強中。そこから学んだ生き方を記録しています。(自分勝手な解釈で正解かどうかはわかりません(__))
古代人たちは、神さまは自然そのものであることに気付き、それらが起こす”自然現象”をすべて”神さまの意志の現れ”と受け止めました。
そして心の感性と次元を上げて、その意思を読みとらなければ、神さまを味方につけることはできない。なぜなら苦しみから自分を救うのは神ではなく自分の心だから。
原典算命学体系はこの視点と方向性から書かれてあります。(と思って読んでいます。)