生き方を見つけるために算命学を勉強中です
「どうしていつもこうなっちゃうんだろう.....」を
掘り下げて考えると、
人間KAZUEが、霊魂KAZUEとどう折り合いをつけていくか?
ではなく、
天地自然の法則の中で生きていて、
これからもその法則の中で生きていくなら、
霊魂KAZUE側から考えないと、
今までの人生苦ループからは抜け出せないというところに行きついた。
この「どうしていつもこうなっちゃうんだろう」
というセリフは、
人間KAZUEが、この世における自分の存在を憂いて発されたものだからだ。
これではいかん。
この世でスムーズに生きていきたいなら、
そこの法則に乗ることは必須条件、
「郷に入れば郷に従え」だ。
ここから既に外れてる。。。
天地自然の法則によると、
もしKAZUEが自然の流れの中で、
自然体で生きていきたいなら、
天からやって来た霊魂KAZUEによる主導は、当然だそうだ。
だって霊魂KAZUEはその法則で、出来ているのだから。
法則そのものと言っていい。
そうなると「じゃあ私は何のためにここにいるのよ!!」
と
人間KAZUEに怒られそうだが、
もちろん人間KAZUEにも主導権を握ってもらうところはある。
それは現場だ。
天からやって来た霊魂KAZUEの思い(使命・役割)を具現化するには、
人間KAZUEのちからを借りるしかない。からだ。
ただここで残念なお知らせだが、
人間KAZUEは生まれたそのままでは使えない。
霊魂KAZUEの思いを具現化するためには、
使える状態にする必要がある。
アスリートでいうところのカラダづくり段階とおなじだ。
そのために、人間KAZUEにとっての「苦」が必要になってくる
「現実苦」には、2つの大きな意味があった。
ひとつは、苦によって人間垢が燃えることで、
人間KAZUEから霊魂KAZUEへシフトしていけるということだ。
この意味は、神の意志をくみ取るレベルが上がることだった。
より霊魂KAZUEの割合が大きくなって、
その意味は、自然体で生きれることになり、
徐々に苦から解放されていくというもの。
もうひとつは、KAZUEの持っている霊魂に刻まれた才能を磨くための研磨剤としての「苦」だ。修行時期。
ここまで理解した人間KAZUEが
これから先に「苦」を目の前にしてできることは
「苦」の必要性の理解を深めることと、
取り組み方とその心構えの研究だ
そのための算命学。
▶算命学を勉強中。そこから学んだ生き方を記録しています。(自分勝手な解釈で正解かどうかはわかりません(__))
古代人たちは、神さまは自然そのものであることに気付き、それらが起こす”自然現象”をすべて”神さまの意志の現れ”と受け止めました。
そして心の感性と次元を上げて、その意思を読みとらなければ、神さまを味方につけることはできない。なぜなら苦しみから自分を救うのは神ではなく自分の心だから。
原典算命学体系はこの視点と方向性から書かれてあります。(と思って読んでいます。)