こんにちは😊


今日は、「本気の願いなら、神様は絶対にたすけてくれる」と題して、天理教に伝わる古いお話の中の、個人的にすごく好きなお話、素敵なお話をご紹介します。✨


なかなかの長文ですが、どうかお付き合いくださればと思います。


今日紹介する、天理教に伝わる古いお話のタイトルは「子どもが親のために」というタイトルです。


(※もし原文を読みたい方は、天理教道友社が出版している、『稿本天理教教祖殿逸話篇』という本をお読みください。ネットでも購入できます↓)




本来ならこのお話の全文を載せたいのですが、著作権などの関係で載せていいのか分からないです😓


なので、他サイトで綺麗にまとめられているものがありましたので、そのリンクを載せます。(手間かけず楽してすみません🙏)


天理教高岡大教会のWebサイトです。↓


全体的にきれいなサイトで読みやすく、他のトピックも分かりやすくて面白そうなので、興味のある人は他にもいろいろ読んでみてください。




↑「子供が親のために」のお話の全文が載っています。


とはいえ、他サイトへ飛ぶのも手間だと思うので、簡単にまとめたストーリーを載せますね。



このお話を簡単にまとめると、、、



その昔、桝井伊三郎という男の子がおった。


お母さんが病気になり、たすけてほしいということで、何でもたすけてくださると評判の教祖のところへお願いに行った。


しかし教祖は、「伊三郎さん、せっかくやけども助からん」と残念な返事をくださった。


仕方なく家に戻ったものの、苦しんでいる母親の姿を見ると、いてもたってもいられなくなり、再び歩いて教祖の元へお願いに行った。


しかし教祖は、

「伊三郎さん、気の毒やけども助からん」とまた同じ返事だった。


2回も行ったが教祖の返事は変わらなかったので、仕方ないかと肩を落として家に帰ったが、やはり母の苦しんでいる姿を見ると、いてもたってもいられなくなった。そしてまたもう一度、歩いてお屋敷に帰り、教祖にお願いに行った。


お屋敷に着いた頃にはもう夜になっていた。

取次の人に頼むと教祖はもうお休みになられたとのことだったが、無理をして教祖にお願いをした。


すると教祖は、


「救からんものを、なんでもと言うて、子供が、親のために運ぶ心、これ真実やがな。真実なら神が受け取る。」

と仰せくだされた。

この有難いお言葉を頂戴して、母は命をたすけて頂き、長生きさせて頂いた。


というお話です。


【お話を聞いて思ったこと】

伊三郎さんの気持ちに立つと、本当に良かったなぁと思います。大好きなお母さんの命がたすかって。


誰しも自分の大切な人が病気になって苦しんでいたら、伊三郎さんのように、必死に、たすけてほしいとお願いするでしょう。


ならん中でも、何度も無理だと言われても、それでもたすけていただきたいとお願いをする。


ちなみに、このとき伊三郎は15歳。また伊三郎の家から教祖のお屋敷までは片道5キロ以上の道のりがあるそうです。


今の時代に実際に片道5キロを大人が歩くと約1時間以上はかかります。昔の人は健脚だったとはいえ、3往復ですから合計約6時間は歩いていることになります。


15歳の男の子が母親のために約6時間歩く。この熱意、すごくないですか?まだ15歳ですよ?それでも、そこまでしてでも、お母さんをたすけたかったんですね。その熱意が伝わって、神様にたすけていただけたと思うのです。



【ただ単にお願いするだけではない】

しかし、ここで一つ考えないといけないと思うのは、その熱意というのはただ単にたすけてください、というだけの熱い思いでは無かったと思うのです。


おそらく伊三郎さんは、たすけていただいたら何でもします、何でも神様の言う通りにさせてもらいます、という本気の覚悟で臨んだのではないかと思うのです。


変な話、必死にお願いするというのは誰でもできます。しかし、たすけてもらえたら何でもします、というほどの覚悟で臨める人が何人いるでしょうか。私は、そこまでの人間はなかなかいないのではないかと思います。


だからこそ、今回の伊三郎さんの必死のお願いは、「真実」として神様に受け取って頂けたのだと思います。


【真実の運び方】

このように、天理教では、神様に対して「真実」を運べば、きっと神様は受け取ったくださる、たすけてくれる、と教えられます。


ではどうすれば真実を受け取ってもらえるのか。何が真実で、何をすることが真実を運ぶことになるのか。それを以下ではご紹介していきたいと思います。


【真実その一、お金】

無宗教の人は、うすうす予想していたと思うので、まずはそれからご紹介しますが、やはり一つはお金です。(怖いと思いますが隠さず正直に言います。)


お金ってものすごく大切ですよね。お金があれば何でもできます。ほしいものも、やりたいことも、食べたいものも全部手に入ります。贅沢をしたいわけではないという人でも、光熱費や食費、医療費など、最低限のお金は必要になります。


そこまで大切なお金を神様に対して捧げる、お供えする。だからこそ、これはやはり神様は真実として受け取ってくださるんですね。


昨今の統一教会の献金問題で(それに限らずですが)宗教による金の搾取が問題にはなっているので、上で書いていることがだいぶヤバいことを書いているというのは百も承知です。


しかし、それでもやはりたすかっているという人は実際にいますし、たすけて頂けると私も信じているので、あえてここでは隠さずに書かせて頂きました。


【真実その二、人をたすけること】

はじめに断っておきますが、上の「お金」もそうですが、この真実というのは私の経験と知識に基づいた、あくまで私が考える真実です。


なので、正直、もしかすると間違っている可能性もないとは言えないので、それをご了承の上でお読みください。(とはいえ、普通の天理教の人よりかは、そこそこ勉強もしていますし、小さい頃から色々な天理教の話も聞いてきたので、そこまでぶっ飛んだ解釈では無いと思います。)


真実その二は、「人をたすけること」です。


実は、正直、これを一つ目に紹介したかったんです。というのも、天理教につたわる多くのお話の中で、天理教の神様は「人をたすけること」を一番喜ばれると言われているからなんです。


例えば、自分の重い病気が治ったときなどに、教祖にお会いして、「この御恩をどうやって返させていただいたらよろしいでしょうか」とお尋ねすると、教祖は必ず、


「人をたすけるのやで。あんたがたすかった話を人にも話すのやで。」


と仰ったそうです。



「天理教には人をたすけて我が身たすかる」という言葉があります。その名の通り、人をたすけることで、自分の困っていること、悩みも神様にたすけて頂ける、という教えです。


ですから、伊三郎さんのように、何かたすけてほしいことがある時、逆に他人を必死になってたすけさせてもらう。その真実を神様は受け取って、自分の願いもたすけてくれるのですね。


【真実その三、色々な行動】

ここまで、私が考える、神様に受け取って頂ける真実として、「お金(お供え)」、「人をたすけること」、を紹介しました。


しかし、それだけでは無いと思います。


もちろん上に挙げた2つはなかなか普通の人ができることではないので(というか天理教の人でもなかなかできる人はいません)、その分、成し遂げられたら神様はすごくお喜びになり、たすけてくださると思います。


ですが、それ以外にも、「あの人に本当にたすかってほしい」という気持ちを持ってする、陽気ぐらしに沿った必死の精一杯の行動なら、例えば、人のお手伝いをしたり、毎日ゴミを拾ったり、腹を立てないようにしたり、という行動であれば、それも神様が真実として受け入れてくれると思います。


つまり、気持ちだけでなく、行動も大事、ということです。逆にいうと、本気の気持ちなら、自然と行動もついてくるのかもしれません。


【終わりに】

今日は、桝井伊三郎さんのお話から、神様は真実を受け取ってくれる、ということについて書かせていただきました。


おそらくこのブログの読者の皆さんは無宗教の人が多いと思うので、皆さんにお伝えしたいのは、おそらく生きていく中で、人生に一度は、本当にたすけてほしい、誰か自分の大切な人が病気になったりして、たすけてほしい、という時が絶対に一度はあると思います。


その時に、最後の神頼み、ダメ元の神頼み、でもいいので、どうか神様に本気で必死にお願いしてみてください。そして、そこにもしできるのなら、お願いだけでなく、何かプラスで行動も起こしてみてください。


そうすればきっと神様は「真実」として受け取ってくださると私は信じています。



今日はこの辺で。最後までお読みいただいてありがとうございました😊