こんにちは😊今日も読んで頂きありがとうございます。
今日は、「見るも因縁、聞くも因縁」ということについて書きたいと思います。
おそらく、上の言葉だけでは全然意味が分からないと思うので、詳しく説明していきます。
なかなかの長文ではありますが、良作だと思うので(自分で言うのもなんですが笑)、ぜひ最後までお読みください😊
【見るも因縁、聞くも因縁とは】
見るも因縁、聞くも因縁とは、私たちが身の回りで見たり聞いたりすること、それら全てが自分の因縁だということです。
つまり、身の回りで見たり聞いたりすること、それら全て自分の今までの心遣い(前世も含めて)が原因となって見せられている、ということです。
因縁とは「心の道」である、と前回の記事で書きました。自分の心遣いが原因となって、良いことも悪いことも身の回りに起こってくるのです。
【私の体験談】
最近、私は職場の上司によく怒られることがあるんです。
怒られるとやはり精神的に堪えるというか、辛く感じて気分も落ち込みますよね。
しかし、「見るも因縁、聞くも因縁」です。こうして怒られて辛いという状況を自分に見せられるのも、因縁(つまり自分の心遣いが原因)なのだと考えるようにしました。
おそらく、過去に自分もこういうこと・こういう心遣いをしてきたのだろう、、、
すると、その通りだなぁと気づいたのです。
私の人生と心遣いを振り返ると、色々な人に怒ってきて、その人たちに辛い思いをさせていたなぁと気づき、反省したのです。
【因縁は、通らにゃならん、果たさにゃならん】
天理教の言葉に、
「因縁なら、通らにゃならん、果たさにゃならん」
と言われます。
これは、自分のそれまでの心遣いを原因とする因縁なら、それを避けることはできない、その心遣いに応じただけの出来事が身の回りに起こるが、それを受け入れなければいけない、ということです。
今回の私の例で言えば、昔から人に怒って辛い思いをさせてきたのだから、その分、同じように今、上司から怒られて辛い思いをしている、しかしこれを受け入れなければいけない、ということです。
これは、言葉を選ばずに言うと、自業自得、みたいなことだと思います。それだけのことをやって来たのだから、そうなっても仕方ない、みたいな。
ただし、自業自得とは少し違う点もあります。自業自得というと悪い話のみのイメージですが、いんねんは良いことについても当てはまります。
つまり、良いことや良い心遣いをしていれば、それだけ良いこともその因縁で必ず身の回りに起こる、ということです。これが自業自得という言葉と違う点の一つ。
そして、最大の違いは、この因縁というものに込められる意味合い、因縁を見せられる理由です。
他の因縁の記事でも既に書きましたが、この因縁を見せられる理由は、その出来事を通して心遣いを振り返り、悪ければ改めなさい、良ければその心遣いを継続しなさい、という神様からのメッセージなのです。そうすれば幸せに過ごせるよ、という、神様からの親心に溢れたメッセージなのです。
私の例でいえば、怒られて辛いということを見せられて、自分も人に怒って辛い思いをさせていたから反省しなさいよ、ということなのです。
実際、私はこの出来事を通して普段の心遣いを反省し、人に対して(もちろん重大なミスには怒らなければいけませんが)普段は優しい言葉を心がけ、その人が気持ちよく過ごせるように意識するようになりました。
その結果、やはり後輩たちも笑顔で幸せそうに毎日を過ごせているように思います。以前よりも確実に幸せな世界に近づいているのです。これも因縁の教えをもとに心遣いを反省したおかげですね。
昔の天理教の教えを知らなかった私なら、何か辛いことがあってもそれで終わり、何か反省するということはありませんでした。
しかし今では、そのような出来事がある度に、少しずつではありますが、心が成長し、人間としても成長し、そして周りの人たちも少しずつではありますが幸せにしているのではないかと思っております。
それでは今日はこの辺で。長くなりましたが最後までお読み頂いてありがとうございました😊