2月後半の佐賀関係の暦。
大隈重信と江藤新平の年の差・・・4
二人とも 今の日本の政治も多大な貢献をしている。
東京に「お台場」と言われてる場所があるが、そこは 佐賀と密接な関係がある。
佐賀城のお正月の名物『鼓の胴の松飾り』
これを飾るゆえんとなった戦いが、島原の乱。島原の乱と言えば天草四郎。
その天草四郎と佐賀藩の繋がりが…。
2月後半の佐賀関係の暦。
大隈重信と江藤新平の年の差・・・4
二人とも 今の日本の政治も多大な貢献をしている。
東京に「お台場」と言われてる場所があるが、そこは 佐賀と密接な関係がある。
佐賀城のお正月の名物『鼓の胴の松飾り』
これを飾るゆえんとなった戦いが、島原の乱。島原の乱と言えば天草四郎。
その天草四郎と佐賀藩の繋がりが…。
もうすぐバレンタイン。
こんな日に 佐賀城本丸で ハートを探してみませんか?
次のは、↑を見に来られていたサガテレビのアナウンサーが見つけられました!
次は お城だけでなく、お寺の門でも よく見られるようです。
最後は 佐賀城のハートと言えば これ!
さぁ 四つのハート!
あなたは どれがお気に入りですか!?
昼頃、本丸に着いて関係者入り口から入ろうとしたら・・・
↑北側から見るとこんな感じ。
↑ 中はこんな感じ。
3月いっぱいはこんな状態のようです。
どれくらい前からだろうか?
最初 赤←の部分のずれだけが目に入って 漆喰のずれは全く目に入らなかった。
しかし、この日 何気なく上を見たたら・・・
こんな風に なっていた。
ちなみに外から見たら
少し 中央部が膨らんでいるような気がする。
築170~80年だし、当時の木材を使ってるし・・・。
市の重要文化財です。
本丸の大広間の傍に縁側がありますが、そこから西門を見ると
↓ こんな感じになります。この赤い矢印は何かと言うと・・・
当時、石垣がここまでありました という印です。
西門まで行てみると こんな感じ↓
ここは 緊急車両のために このような形になされています。
天守台の下から見ると 何やら記念碑みたいなのがあることに気づきます。
登ってみると…
さて 何と書いてあるでしょう?
また、南側(左側面)にも 何やら書かれてあります。
ここ 左側はすぐ天守台石垣なので落ちないように注意してください。
このようにロープが緩くたわんでいる個所もあるので
むやみにロープに寄りかかったりしないようにお願いします。
佐賀城は 1874年の佐賀の乱(佐賀の役、佐賀戦争など)の舞台。
時に 鯱の門には その時の弾の痕がいくつも残っています。
その中の一つがこれ・・・
鯱の門に入られる際の左の柱に残ってる弾痕。
同じ柱にもう一つ残ってます。
そして 目立つのが 右の扉の大きな穴。
穴から覗くと閂(かんぬき)が見えてます。ということは 閉めた状態でも閂に当たってるかもしれないと思い、触ってみましたが、どこにも当たったような形跡がなかった。
↓が 反対側から見た画像。
閉めた状態でどこまで閂が来るのかわからないけど、
いろいろ思いを巡らせる鯱の門でした。
佐賀城本丸ができて早11年が過ぎました。
この間 所々修繕が行われてきました。
このモニター台もオープン当初から使われているので
だいぶん傷んできてます。
館内に何ヶ所か置かれているので、近くを通られる際は
足元にご注意を…。
遅くなりましたが…
新年 おめでとうございます。
今年もこのブログでは、佐賀城本丸歴史館 及び 佐賀の歴史系をアップしていく予定です。
正月の三が日、凧作りが行われました。
建物南側の芝生広場では 走り回って自作の凧を飛ばしてる子供たちの姿も多かったです。諸事情で画像はアップしませんでした。
その凧揚げで 名人が作った凧を子供が上手に上げていましたが・・・・。
朝登城してみたら 撤去作業が行われていました。