みなさん、こんばんは。 かずまるです。


7記事目の投稿になります。


もちろん、今でもはっきり覚えていることもあります。
でもその一方で、 ところどころ記憶が抜け落ちていたり、 
曖昧になっている部分も増えてきました。

 

だから私は、 この「想いを置いておける場所」を作りました。
時間とともに、 大切な記憶が少しずつ薄れていってしまう。
それが怖かったんです。


還暦が近づいてきた今、 自分自身のためでもあります。


でも何より――
亡くなった妻との記録を、 ちゃんと形にしてここへ残しておきたかった。


もしかしたら天国から、
「私たちの記憶として残すんだね。」
そんな風に笑ってくれているかもしれません。


落ち着ける場所


覚悟を決めたとはいえ、心穏やかではありません。 


周りの目が気になり、気軽に街を歩くこともできず、 
職場からも、お互いの自宅からもずっと離れたところで 会うしかありません。


とにかく落ち着ける場所が多くないという現実が、

重くのしかかりました。


私も家を飛び出す勇気というか、 

半ば駆け落ちに近いけど、ある程度は覚悟していたので、


「小さくてもいいから部屋を借りようよ。 

それでそこから二人で始めよう……」って。


その時初めて真剣な顔で、 

「それで本当に後悔しないの。」

 と言ってくれました。
私も「うん、後悔しない。」 

 

もう周りから何を言われても、

もう決めたことだから。


そのあと、休みを合わせてふたりで不動産屋に行きました。
ワンルームマンションの小さな部屋を借り、 

こうしてふたりの生活がスタートしたんです。


今思えば、その時が人生で一番刺激的だったと思います。
 

彼女は何も悪いことはしてないのに


ワンルームでふたり暮らし。 

この歳になって、 そんな生活を経験するとは思ってもいませんでした。


部屋は決して広くありません。 

でも、 その小さな空間だけは、

 私たちにとって唯一安心できる場所だったんです。


コンビニで買ったご飯を並べて、 他愛もない話をしながら笑う。 

そんな何気ない時間が、 なぜかとても幸せでした。


ただ―― 

現実は、そんなに甘くありませんでした。
私もそうですが、 彼女も家を飛び出した状態だったため、

 ほとんど自宅へは戻っていませんでした。


娘さんと連絡を取りながら、 旦那さんの様子を聞いていたようですが、

 かなり怒っていたみたいです。 

 

そりゃぁ、そうですよね。


私の方も、 携帯には着信履歴が怒涛のように残っていました。


周囲との関係も少しずつ壊れ始め、

 次から次へと問題が押し寄せてくる。


結局、 ふたりとも落ち着けるような状態ではありませんでした。


彼女は学生時代、水泳をやっていたこともあり、

 厳しい練習にも耐えてきた人でした。

 とにかく我慢強い。 

本当に弱音を吐かない性格だったんです。


でもそんな彼女も、 旦那さんからのDVや生活苦の中で、 

少しずつ心を壊してしまっていました。


パニック障害を患い、 精神的に不安定になることも多く、 

「パキシル」という薬を飲む姿を、 私は何度も見ていました。


世間。

 家族。

 常識。 

罪悪感。

 

何と戦っているのか、 

自分でもわからなくなることがありました。


ただひとつ言えるのは、 私たちはずっと、

 "見えない敵"と戦っていたんです。


そして私は、 その時ばかりは本気で悩みました。
何も悪いことをしていない彼女を、 

これからどうやって守っていけばいいのか。


本当に、そればかり考えていました。




さすがにこれ以上は


私の実家では、 親兄弟を巻き込んでの大騒動になっていました。


というのも、 当時の妻が実家へ連絡を入れ、

 今回のことをすべて話していたんです。


もう"大騒ぎ"なんて言葉では足りないくらいでした。
警察へ捜索願を出す寸前まで話が進んでいたようで、 

さすがに私も、 「これは何とかしないとまずい。」

 

 そう思う状況まで来ていました。
それで私は、 彼女を部屋に残したまま、 

一度自宅へ戻ることにしたんです。


するとしばらくして、 実家の母親から電話がありました。
「お父さんが脳梗塞で倒れた。」
しかも、 もう先はそんなに長くないかもしれないと。
そして母は言いました。


「一度、家族で沖縄へ帰ってきなさい。」
それはつまり、 "ここで暮らしなさい" という意味でもありました。


私は、 どうにもならなくなっている今の状況を、 

こっそり彼女へ電話で話しました。
すると彼女は、 静かな声でこう言ったんです。
「私は大丈夫だから、心配しないで。」


でも―― 

その言葉が、逆に苦しかった。
本当は、全然"大丈夫"な状況じゃない。 

それなのに、 私を困らせないように、 最後まで気を遣ってくれている。


自分の不甲斐なさを、 嫌というほど感じました。
その後、 彼女とはしばらく会えない時間が続きました。


そして私は、 この仕事を辞め、 

家族とともに沖縄へ帰ることになったんです。
最後の最後まで、 思うようにいかないことばかりでした。


彼女とのこれまでを、 このまま終わらせたくない。
そんな気持ちを抱えたまま、 私は沖縄へ向かいました。


実家では、 今回の騒動によって、 
母親、弟、妹夫婦―― みんなから、本当にいろいろ言われました。


"最低な男"
そんな風に扱われても、 仕方のない状況だったと思います。


でも、 あの頃の私にとって、 唯一の救いは、 

電話越しに聞こえる、 彼女の声だけでした。


そんな状態が、一年近く続きました。
私は、 いつかもう一度やり直せる日を信じながら、 

ずっと、"仕切り直すタイミング"を探していたんです。


 

家出の計画を立てる


「家出の計画を立てる。」
言葉にすると簡単ですが、
実際はそんな簡単なものではありませんでした。


私の実家は、
バスの本数も少ない田舎でしたし、
当然、誰かに頼れるような状況でもありません。
だからこそ、
ちゃんと計画を立てなければ、
確実に失敗する。そう思っていました。


時間は早朝。
当然、始発のバスもまだ動いていません。


しかも周囲はとても静かな場所だったので、
タクシーのエンジン音ですら、
やけに大きく響きそうで怖かった。


だから私は、
明け方、
まだ誰も起きていない時間を狙って、
家を出ることにしたんです。


まず、
安全な場所まで歩いて移動する。
そこでタクシーを止め、
車で20分ほど離れた場所にある
バスセンターへ向かう。


そして、
始発の那覇行きのバスへ乗る。
朝9時頃には、
那覇空港へ到着予定。


もう、
この方法で行くしかありませんでした。


事前に、
航空チケットもこっそり予約していました。


家族には本当に申し訳ない。
でも、
後悔がなかったと言えば、
それは嘘になるのかもしれません。


それでも私は、
これから起こる困難も含めて、
自分で選んだ道を進むしかないと思っていました。


日にちははっきり覚えていません。
ただ、
8月の暑い夏だったことだけは、
今でもよく覚えています。


こんな逃避行を、
こうして文章として残すことが
正しいのかどうかはわかりません。


それでも私は、
この事実を、
ちゃんとここへ残しておきたいと思いました。


当日の朝。
私は、着の身着のまま、
2階の部屋から静かに階段を降りました。


物音を立てないように、
ゆっくり、ゆっくりと。


玄関の前で、
もう一度チケットと財布を確認する。


そして、携帯の電源をOFFにして、
静かにドアを開けました。


外はまだ薄暗く、
空気だけが妙に生暖かかったのを覚えています。


怖かった。
本当に怖かったんです。


家族との縁を切るということが、
こんなにも怖いことなんだと、
その時初めて知りました。


でも――
それでも私の足は、
前へ進むことをやめませんでした。


ただ、
早く彼女に会いたい。
その気持ちだけを抱えながら、
私は静かな朝の道を歩いていました。

 

 

さて今回も、かなり長くなってしましたが、 

最後まで目を通してくださった皆様方ありがとうございました。 

 

続きはまた明日。 

 

では、おやすみなさい。