時代は、アメリカがベトナム戦争の泥沼に沈んだ60年代後半と記憶している。

 あの頃、親父は夜勤でメスホール(将校クラブのレストラン)のボーイをしていた。
ある時一斗缶を2つ持ってきた。「何」と聞くと「雑草を枯らすもの」との由。
  内容は、あまり分からなかったようだ。
仕方ないので、薪小屋に入れておいた。数日して暇なので少し開け、外の雑草に撒いた。一応枯れはしたが、あまり効果は期待できそうになかった。半年位したら皆無くなっていた。近くのあぜ道にでも撒いたのだろうか。
 数年後ベトナム戦争が終わり、枯れ葉剤やベトちゃん・ドクちゃんの記事も目に入るようになった。
一瞬「まさか」という思いであった。まさか、普通の軍雇用員がフリーで持ち帰るほど軍規が緩んでいたのか。まさか・・・
  後で、その緩みが至る所で指摘されるようになった。58号線沿いのミニタリーショップで、本物のロケットランチャーが見つかり大騒ぎとなったが、やはり基地流れだったという。マニアの自宅を捜索したら、家中火器で溢れていたという。
 昨今雑草処理のため、薬品を散布する家が増えている。聞けば、老人の単身世帯が多く「人様の手を煩わせたくない」ために、やむを得ず使用しているとの由。
 たまに、あの頃を思い出す。尚親父は94の大往生であった。