毎年のように原野火災が発生した。場所はダムの大城側の方で、通称伊舎堂山の手前である。伊舎堂山は時期になるとシークアーサーがいっぱい取れ、子ども達はよく行っていた。
 ある日、突然公民館の鐘が鳴った。(緊急集合の意。何と200キロ爆弾の筐体)
ダム原野火災という。行けば周辺数百メートルにわたって燃えていた。
 ススキの穂が咲いていたことを覚えているので、秋口のころであったか。実際には年中咲いているので詳細は不明である。
道もなく、ススキの原であった。消防車は手動の旧式が、旧役場前に置いてあった。
聞けば米軍払い下げの消防車が1台、ジープが1台あったとのこと。繰り返すが道もなく、出動せず。
 大城荻道から数十名が集まった。 
消化方法は、火の手の後方のススキをひたすら刈り取っていくのみ。草刈り機すらなく、カマのみであった。時折パーンと何かがはじける音がして不気味であった。 
 暫くすると、煙が舞いあがってきた。何と別方向から火を放ったのだ。 
 後で知ったことだが、これは迎え火で消す方法だという。火で火を消す。 
昔の江戸も同様な方法で消火したという。その時は近隣の家は延焼を防ぐために打ち壊したという。 
 数時間後鎮火した。 原因は、不発弾が自然着火したという。不思議ではあった。
 今考えると、ダムの周辺には釣り客等が常時何名かいたので、たばこの火の不始末もあったのではないか。因みに釣ったフナは心臓病に良いということで、人気であった。復帰後の普天間市場で、一匹五百円だったと記憶している。
 当時私は小学校の低学年であった。他にも子供がいっぱいいた。何で? 
よくぞ連れて行ってくれたものだと、妙に感心している。