ぷらんくとんずの高橋プランクトンの方。 -4ページ目

ぷらんくとんずの高橋プランクトンの方。

北九州で活動中の、高橋プランクトンです。
ぷらんくとんずというユニットでギター2本、男2人で軽自動車に乗り日本縦断の旅をしてき、高橋プランクトンは福岡で、西名太一は熊本でそれぞれ音楽活動をしています。

東日本大震災から今日で5年。

日々はどんどん過ぎていき、日本縦断も、宮城で過ごした2ヶ月も2年前になりました。

初めて東北に行った時の光景。行方不明の方の捜索をしているときに感じた感情。は今までに無いもので。

絶対忘れないぞ。と心に誓いましたが、やはり人間は忘れていく生き物らしく、どんどん日々の仕事や色々で忘れていっている自分。

あぁ、やはり現地に行かないと忘れゆくものだなと思い毎年時間をつくり行くことを決めました。

福岡でライブするときに皆さんに伝えることは、是非1度いつか東北に行って欲しい。自分の目で見ないと分からないものが確かにある。ということです。

僕が何を歌おうが、何を話そうが、映像で何を見ようが。

やはり分からないものがあるのです。僕のライブを見たかたが1度東北に行くきっかけにでもなれば。そう思って歌っています。

今もなお、東北の方は戦っています。

行方不明者の捜索、仮設住宅に住んでいる方々、福島で会った除染作業員のおじちゃん。避難してきた子供たち。

それを絶対に忘れてはいけないし、遠い場所に住んでいる僕も何かできることを。

東北にいた2ヶ月間。

音楽で誰かを救う。なんてことはできませんでした。行方不明の方も見つけてあげることができませんでした。

ですが、やはりできることはしないといけない。

あの日何もできなかったから今なにもしないのではなく、あの日誰も救えなかったから、今も何もしないのではなく。

今、自分にできることを。

派手じゃなくてもいい。急激に好転することができなくてもいい。何か。ささいなことでも何か。

自分の人生を大事にし、余裕があるときにできることを。

最後にビートたけしさんがいっていた言葉を。

僕はこれではっとしました。


2万人の人がなくなった一つの出来事ではなくて、そうじゃなくて、「1人が死んだ事件が2万件あった」 ということ。

2万通りの死に、それぞれ身を引き裂かれる思いを 感じている人たちがいて、 その悲しみに今も耐えているんだから。