山本敬一    55歳  会社経営
山本千佳    52歳  敬一の妻 専業主婦

坂元由利    51歳  敬一のいとこ 会社経営

橿原真紀    33歳  由利の娘 一児の母 専業主婦
坂元真一    30歳  由利の息子 サラリーマン

 




千佳      あなた、お忙しいのに悪いんだけど来週から10日ほど淡路島へ行ってきたい 

                 の。いいかな?

敬一    いいよ。俺も忙しくて家にいつく暇もないんだから、ゆっくりしておいで。時間が

               取れたら俺も、後から行こうかな?

千佳    ごめんなさい。大学時代の友達と一緒なの。

敬一    ふ~ん、それならしょうがないか。まあ、大いに楽しんでください。奥さま。お土

               産楽しみにしておりますよ。

 

離婚



敬一    突然送り付けるなんて、ちょっとひどいんじゃないか?俺はけっこう君の希望通 

               りにして上げたつもりだよ?

千佳    なんで、何もかも希望通りなの?なんで、何でも買ってくれたの?なんで、会社

               が大変な時も、私は贅沢してたの?なんで、どんな時でもやさしかったの?

               私、その理由わかってるつもりよ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

               貴方のことが、好きだったから我慢してたの。いい加減私のものになってくれると

               思ったわよ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

               なのに何?あの人のご主人が亡くなってから、ボーっとして。もう私もいい年よ。

               疲れたわよ.


敬一    何の話だよ。俺はすることしたつもりだよ。

       何もかも君の思い通りにしたはずだよ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

               まあ、今度も思い通りにしたらいいよ。君が困らないような金の段取りはするよ。

千佳    なんで、怒らないのよ。なんで怒鳴らないのよ。なんでお金くれようとするのよ。

               心の底でホッとしてるのわかるのよ。・・・・・・・・・・・・・・

               お金は十分用意してくださいね。私は、お金を稼ぐことはできませんから。

 

昔の恋




敬一        お~い、お前のバカ亭主死んだんだって?

坂元由利     バカはあなたでしょ。何、大声でばかなこと言ってるのよ!・・・・・・・・・

           ぼ~ッとしないで。私がいける口なの知ってるでしょ!

           怒らせたんだから、さっさと注ぎなさいよ。・・・・・・・・・・・・・

           人のことより、あなた、いい年して何、突然離婚してるのよ。

           親戚中びっくり仰天よ。

敬一       向こうから一方的に離婚届、送り付けてきたんだよ。

          もう自由になりたいんだって。

坂元由利    何?あなた奥さんに口うるさくしてたの?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
           あなた、奥さん甘やかし過ぎだって、おばさんいつも愚痴ってたのに。

敬一        俺は拘束もしなかったし、買いたいものは何でも買わせてたし、家も好

           きな家を建てたぜ。

           何の苦労もさせなかったし、記念日も忘れなかったし、

           あっちの方もきちんとやってたよ。

           俺は最後まできっちりやる切るつもりだったよ。

坂元由利     そっちをきちんとやって、最後までやり切るって言われる女の気持ちわか

           らないの?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

           それ、ずいぶん残酷な話よ。それで、30年暮らしてたの?

敬一        何が残酷?意味わかんねー。

坂元由利      ひどい男だわ。奥さん、ちゃんと生活できるの?ちゃんとした?

敬一         した。家も出た。淡路島の別荘も渡した。

            でも、よっぽど嫌だったんだろうな。両方とも売りに出してる。

            まあ、贅沢しなけりゃ一生食べるぐらいにはなるだろう・・・
            俺、今家なき子だ。駅前のビルに住んでる。

坂元由利      毎食、外?

敬一         うん、親切にしてくれる女もいないしね。

坂元由利      でしょうね。もういいオッサンだし、家なしじゃね。

敬一         同情してくれる?

坂元由利      しない。・・・・・・・・・・・てっきり、若い女ができたのかと思ったわ。

            それで、むしゃくしゃして奥さんの代わりに、カツ入れてやろうと思った

            んだけど。最初に、いきなりバズーカだから、なんか無茶苦茶腹立つ

            っていうか、ホントの原因って何?

             なんで、この年になってから別れることになったの?

敬一         う~ん・・・・

            そっちの凸凹亭主が死んでから俺の様子がおかしかったらしい。

坂元由利      それって、要するに私のせいっていうこと?

            ひどい裏切り者ね。ものすごい長い間、優しい顔して裏切ってたんだ。

            筋金入りの裏切りものなのね。あなたって。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

            あのね、あなたは凸凹亭主っていうけれど、あの人も結局かわいそうだ

            ったのよ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

            けなげそうな顔をして、心を開かない女に苦しんでたのよ。・・・・・・・・・・
            あなたが、そんなに徹底して、いい夫を演じられるような人には見えな

            かったのよ。・・・・・・

            ず~っと、本気であの奥さんに惚れきってるんだと思ってたの。

敬一         君があのバカ亭主とさっさと別れていたら、こんなに長い間、芝居じ

             みたいい亭主を演じることはなかったんだよ。

坂元由利      あんなに怒って私の婚約をつぶそうとした人が、結婚したら絵に描い

            たように優しい夫にになって、・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

            本気で嫉妬したのよ。

            だから、何があっても離婚しないって決めたのよ。・・・・・・・

敬一         突然、全く別の男と婚約したって言われたら、ふつう驚くよ。

            何にも説明ないんだから、心折れるよ。

            そういうこと、わからないかい?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
            派手に目立つ女と結婚して、幸福アピールしたくなるよ。

            というか、結婚当初は君のことは忘れて千佳を幸せにして上げようと

            思ってたよ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
            でも、どうだ。見栄を張る相手は、見栄どころじゃなかったんだぜ。・・・・
            必死の形相で出勤する君を見るのがつらかった。

            そうまでして、あの亭主を守る君に腹が立った。

            俺に一言相談してくれたら、もう少しマシな段取りをつけてあげられる 

            のに、一言の相談もなしだ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

            だから、君から心を離すことができなかった。

坂元由利      幸福そうな元カレに頼れる?

            一方的に裏切った女が、どの面下げて頼るのよ。

            それに、子供がいれば、どんなことしても家庭を死守したくなるものよ。

            がんばればよくなるって信じてたのよ。子供の父親よ。・・・・・・・・・・・・・

            実際、頑張ってよくなったのも事実なの。私、結構実業家だったのよ。

            親の会社だから、いい従業員もいたし、取引先もいたのよ。

            着任したとき、ホントにもうだめかと思ってたんだけど。気を取り直して働

             いてくれる人もいたのよ。父の人徳が生きてたのよ。

敬一         何で、追い出さなかったんだ、あの男。

             それなりにいい家の息子なんだから、追い出しても食べて行けただ

             ろう?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
             俺はね子供の父親になりたかった。俺は親父が好きだったから子

             供が欲しかったんだ。親に孫を見せたかったけれど、できなかった。

             心残りだよ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
             普通に恋愛して、普通に結婚して、普通に幸せになれると信じてたん

             だよ。俺自身も親もだ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

             何で必死で勉強したと思う?何で一流の大学出たと思う?・・
             誰が見ても、坂元の婿にふさわしい男になりたかったからだ。・・・・・・
             会社の跡を取っておじさんの孫に引き継ぎたいと思ってたよ。

             おじさんは俺の憧れの男だよ。・・・

             俺は、学生時代から君も君の親も喜ばせようと思って生活してたんだ

             ぜ。

坂元由利       私ね、あなたに本気だったのよ。

             あなたしか見えなかったの18歳ごろまでは。

             でも、祖母が亡くなった時に、いろいろ思うことがあったの。・・・・・・・・・・
             祖父って、お妾さんがいたのよ。18年も続いた人がいたの。

             親戚中みんな知っていたんだって。祖母が亡くなってから、祖父はその

             人と暮らし始めたのよ。祖父が76のときよ。・・・・・・・

             さすがに、祖父のことは大嫌いになったわ。

             それでも、経営者としては尊敬されていたのよ。

             そんな祖父が本当に嫌だったの。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

             父には、お妾さんはいなかったけど、放蕩には違いなかった。

             女性関係に切れ目がなかったのよ。母は平気なものだったわ。

             祖父を見ているから、そんなものだと思ってたのよ。

敬一           君のお母さんは親戚では有名だった。

              大した太っ腹だってみんなある意味尊敬してたよ。

              だから君の家はお母さんのおかげで丸く治まってて幸福そうだっ

              た。

坂元由利        そう、幸福だったの。祖母が亡くなるまでは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

              女遊びはただの遊びだって思ってたの。

              だから祖父がお妾さんと一緒に暮らし始めたのは本当に晴天のへき

              れきだった。父も母も祖父を軽蔑したの。

              家から幸福感が吹っ飛んだのよ。・・・・・・・

              祖父も父も本当にきれいな人だったわ。顔もきれいで背も高くて。

              私は、友達からお父さんがハンサムだっていっつも言われていたの。

              祖父も、そうよ。あなたのお母さんは、しょっちゅうおじいさんはきれい

              な男だって自慢していたの。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
              でも、私は、きれいな男が嫌だったわ。

              容姿が美しい男は、怖かったのよ。・・・・・・・・・・・・・・

              それに祖父も父も性格が激しかった。

              あなたのお母さんも激情型よね。・・・・・・・・・・・・・・・・
              そういう血筋が嫌だったの。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
              あなたは、祖父や父によく似て、とってもハンサムで女の人にモテた

              わ。・・・・・・・・・・・・・・・・私ね、そういうところが嫌だったの。

              貴方と結婚すれば、私は、いつも、嫉妬で苦しまなければならないと

              思ったの。あなたのことが本気で大好きだったの。

              あなたが愛人でも作ったら私、本当につらい思いをすると思ったの。

              もし、子供ができたら、私の子供も放蕩になると思って怖かった。・・・
              そのあなたが、まさか、あんなに奥さん一筋で暮らす人だとは夢にも

              思わなかったのよ。

敬一           それで、あんな凸凹男と結婚したのか。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

              嘘みたいに急に婚約して、婿にとった凸凹男は人並外れた放蕩者で

              浪費家だったのか?それで苦労ばかりしてたのか?・・・・・・・・・・・・

              アホか君は。

坂元由利        でも、初めてのとき、私はまだ中学生だったのよ。

              あなたは、早熟だった。どう見ても、放蕩予備軍だったのよ。

敬一           親戚中がみんな、暗黙に了解してたんだ。

              いずれは、結婚するんだから自然の流れだって、両方の親が思って

              た。おばさんなんか、しょっちゅう夕食に呼んでくれてたし。・俺の親

              も、喜んでたんだよ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

              それが、突然、よそから婿を取るっていうんだから、ホントに訳が分か

              らなかった。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

              女なんて、どうでもいいと思ったよ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

              男前だから嫌だったって、そんな理由思いつくか!・・・・・・・・・・・・・・

              しかも、息子はずいぶんいい男じゃないか。女関係は派手かい?

坂元由利       ううん。地味。まじめよ。最近になって、やっとわかったのよ。

             放蕩かどうかは容姿じゃないってこと。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

             時代も違うしね。放蕩なんて、今は死語ね。

*好きでもない男と添い遂げた女、好きでもない女を30年近く騙そうとしていた男、どちらが本物の放蕩?放蕩は遺伝するんです。
 

息子のような男




敬一       今、君の会社どうなってる?順調かい?

坂元由利    うう~ん、今は何とかなってるけど、既存の商売が稼いでいるだけなのよ。

          次の一手が見えません。そろそろ、息子をうちに戻して立て直さなきゃね。

          よそで、頑張ってる場合じゃないのよ。

敬一       君んとこの真一君、僕のところによこさないかい?

          うちは、商売自体は安定しているが、後継者がいないんで、銀行が気にして

          る。真一君が、うちへ入ってくれたら、助かるんだけど。

坂元由利     なんで、真一があなたの会社の後継者になるのよ。

           うちの後継者に決まってるじゃないの。

敬一        君の所には、娘さん、真紀ちゃんか、彼女もいるじゃないか。

坂元由利     娘は、嫁いで公務員の妻として幸福にやってるのよ。

           落ち着いた幸福な暮らしよ。

           それに、婿さんの家は、親戚中、教師か公務員だから、今更家業を継ぐこ

            となんてありえないのよ。

敬一        娘婿さん、やってくれないのか?

坂元由利     だから実直な公務員なの!

           あなた、社員で有望なかたいらっしゃらないの?

敬一        俺は、真一君と一緒に仕事がしたいんだよ。

           真一君、僕と似てるからなんとなく親しみ感じてる。

           この間、飲み屋であったんだよ。接待中だった。しっかりしてる。

           うちの営業部長がほれ込んだんだ。

           僕の顔を覚えていて、挨拶に来てくれた。気持ちのいい奴だったよ。

           取引先が、僕の息子だと思い込んでた。

           隠し子かってものすごく言われたんだよ。

           あんな、隠し子がいたら、どんなにいいだろうと思った。

坂元由利     ありがとう、あなたに褒めてもらえるなんて百人力ね。

           でもね、うちにはうちの事情があるのよ。

           第一本人の気持ちだって無視できないでしょ?

敬一        実は、真一君に直接連絡を取って、一度会ってるんだよ。

           バーで軽く飲んだ。その時、やんわり打診したんだ。

           嫌じゃなさそうだった。というか、うちの事業に関心を持ってくれていた。・・

           酒強いね。血筋を感じたんだよ。気持ちがいいんだ、あの子といると。

坂元由利     あの子って言われても。真一と話をするけど、うちの会社をないがしろに

           することは困るのよ。

           あんな小さな会社で長年働いてくれた社員には、それだけのことはしなくっ

           ちゃ。それに、私だって執着があるのよ。祖父の代からの家業なんだし、

           今それなりの利益があるんだから。





昔の恋の実
坂元由利     卑怯な人ね。ちゃんと人の息子をたぶらかしてるんだから。

           二人で、そこそこの話をつけてるんじゃないの。

敬一        申し訳ない。こう見えても経営者なんでね。

           一番効率が良くて確かな方法を選んだんだよ。

           あの子は、利発だし誠実だ。

           若いもんが持っている熱意とか夢もちゃんと持ってるんだよ。

           ただ、親の家業を継いで、それでおしまいの奴じゃないんだよ。

坂元由利     うちを継ぐのがそんなに、つまらないことなの?

敬一        そうじゃないけど、新しい事業形態を覚えたいんだよ、彼は。

           君もいっただろ?既存の事業で稼いでるって。

           それだって、見直せばもっと伸びる可能性があるかもしれないじゃないか。

            そういうことを、覚えられる場所を与えてやりたいんだよ。

坂元由利     ずいぶんご執心ね。

敬一       うちには古参の社員がいる。そういう連中が、あの子なら納得するんだよ。

          僕に容姿が似てるだろ?それに、親戚だということもわかってる。

          彼らが納得できる人間なんだよ。真一君は。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
          それに、俺があの子を好きなんだよ。息子みたいな感じになるんだよ。

          ああいう感じは初めてなんだよ。

坂元由利    自分の都合ばっかり言うのね。うちにも、古参社員はいるのよ。

敬一       君んちの古参は叔父さんの代からだろう?

          うちは俺の代の古参だから、根本的に世代が違うんだよ。

          前田さんって、もう80になるだろ?

          退職金をきちんとすれば納得してもらえるだろう?

坂元由利    そういうもんじゃないのよ。

          あの人だって息子が跡を継ぐのを楽しみにしてくれてるのよ。

          私が、どれだけ世話になったと思ってるのよ。

敬一       逆の言い方をすれば、いい加減解放してあげてもいいんじゃないか?

           いつまで、会社に縛っておくんだい?あの人は君んちの家来じゃないよ。

坂元由利    そんな風に思ってるの?私があの人を家来扱いしてると思ってるの?

敬一       そうじゃないけど、そろそろ、ゆっくりしたいんじゃないかと思うけどね。

          一度、それとなく本人に確認してみたらどうかな?

坂元由利    あなた本当にずるい人ね。

          なんだかんだで、そういう話にしてしまうんじゃないの。

敬一      あの子が一番気にしているのは、君の気持だよ。

         君だって、そろそろ、荷物をおろして自分のしたいことをしてもいいんじゃない

         かね。

坂元由利   あなた、うちを廃業に追い込もうとしているの?

敬一      そういう時期じゃないかと思ってるんだ。

         いい時に、売却すれば君の資産も十分に確保できる。

         君が納得できるんなら、うちで引き受ける準備はつくんだがね。

坂元由利   そうやって、何もかも自分で計画して、私を管理しようとしているのね。

         何なのいったい。

敬一      君を管理したいとは言わないけれど、引き受けたいとは思っている。

         もし、あの時、結婚してたら、どうなったかな?と思わずにはいられないんだ。

         どうだろう?…・・・・・・・・娘さんとも相談してほしいんだよ。

坂元由利    あなたがそんなに執念深いなんて知らなかったわよ。

           だいたい、なんなのよ。

          私は、ちゃんと自分の老後まで普通に暮らせる程度の蓄えぐらいあるのよ。

敬一       そうなんだ。君が言うとおりに俺は執念深いんだ。

          君や君の娘さんや息子さんを全部自分に取り込みたいんだよ。

          息子さんの将来の心配をしたり、娘さんのことを気遣ったりしたいんだ。・・・

          ふっと気が付けば1人だろ?

          この年で、自分が孤独なジジイだって気づくの辛いぜ。

          君や君の子供たちを取り込んで、家庭の幸せってものを経験したいんだよ。

坂元由利    ごめんなさい。あの頃のあなたは、とても一途で純真だった。

          あなたが今みないな境遇なのは、私にも責任があるのかもしれない。
          でもね、貴方は一人じゃないのよ。

          あなたには、ちゃんと孫がいる。かわいい女の子よ。今年、2歳になる。

敬一       何を言ってるんだ?

坂元由利    私が夫と別れなかったのは、そのせいよ。

           あんな人でも、ただの一度も、娘につらく当たったことはないのよ。

           おかげで、娘は、しっかりもののいい子に育ったわ。・・・・・・・・・
           あの子の耳の付け根には、ぷつんと穴が開いてるの。

           あなたとおんなじよ。

敬一        耳の付け根?何を言ってるんだ?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

           なぜ、もっと早く教えてくれなかった?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

           この間の法事に来てた小さな女の子は俺の孫か?

坂元由利     そう、あなたの孫。あなたはちっとも孤独じゃない。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

           でも、本人には言わないでほしいの。

           ただ、真一があなたのそばにいれば、何かとお付き合いができるわね。

           前田さんには、よく話してみます。

敬一         ああ。・・・・あの子が?・・・・・・・・・そうか。・・・・・・・・・

            あの子は、幸せなのか?

坂元由利     ええ、おかげさまで。先方のおうちには娘さんがいないのよ。

           かわいがってもらってるの。

敬一         そうか。・・・・ありがとう・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

            そうか。あの子が。真紀ちゃんだったっけ?・・・・・・・・・・・・・・・・

            育ててもらった。・・・・・・・・・・・

            凸凹男なんていっちゃいけない。

敬一         真一君のことは、必ずしっかり育てさせてもらう。

            いずれは、全部渡せるようにするよ。

            恩返ししなくちゃな。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

            一人息子のこと気がかりだったろうな。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

            うわあ、なんか実感がないけど。真紀ちゃん、きれいで優しい感じだね。

            会いたい。会いたい。・・・・会う機会を作ってくれないかい?・・・・・・・・・

            あの、小さな女の子になんかして上げなくちゃ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

            人生って、知らないところで突然かわるんだ。

坂元由利      今度機会をつくるわ。取り乱しちゃだめよ。わかってるわね。


さて、一番の放蕩は誰なんでしょう?

誰が一番したたかだったんでしょう?


あの人のことを覚えている人は、今、この広い世界でもほんの少しです。

 

あの人の妻は、あの人を、多分本気で愛していたのだと思います。共依存という言葉で表す人もあるかもしれません。そういう側面もあったかもしれませんが、そうではない、家族愛というものがあったのだと思います。

 

あの人の妻は、あの人のことをとても、よく知っていましたが、今その記憶はすべて消え去ってしまいました。あの人のことをきちんと覚えていてくれる人は、もうほとんどいないのです。

 

あの人の妻、つまり私たちの母親のことは、子供たちと孫たちがよく覚えています。母はひ孫にも合うことができました。母は私たちを育てるために、ずいぶん苦労をし、まるでハツカネズミのように働いてくれました。だから、子や孫に慕われて、深く記憶に残るのは当然です。

 

でも、あの人のことを覚えている人は、本当に数少なくなってしまいました。娘である私も、そろそろ老境という世界に入ろうとしています。あの人がなくなったのは、満年齢の49歳。長女の私が19歳、弟が12歳、妹が10歳の時でした。

 

弟と妹も、あの人のことは、亡くなる前の数年間のことしか知りません。孫の顔を見ることもなく、子供たちにもあまりよく知ってもらえず、早く死ぬということはこういうことなんだと、少しかわいそうに思っています。

 

あの人のことをかわいそうだと感じ始めたのは、この数年間のことです。それまでは、嫌な父、母に苦労をかけっぱなしだった父、酒で身を持ち崩した父という印象しか持っていなかったのです。

 

つい最近、私たちが生活していたあの家、私たちの生活費を生み出していたあの安アパートは、あの人、父が作ったものだということに考えが至りました。木造の小さなアパートを私たちは軽んじていたのです。でも、あの家があったから、私たち兄弟は成長し学校を出たのだということに、今になって、やっと、思いが至ったのです。

 

もちろん、その家を使って母が働き倒してくれたという事実も忘れてはなりません。

 

父が肺結核を患ったのは、その肉体的な無理と精神的なプレッシャーと、酒のせいでした。ところが、不思議なことに私は前の2点はすっかり忘れてしまって、ただただ酒のせいだ、自業自得だと思っていたのでした。

 

父は今思えばいわゆる美男子でした。近所の料理屋の仲居さんなどと一過性の関係ができていたのは、本人の放蕩のせいもありますが、多分に容姿が影響していると思われます。

 

母は平気だったのか、平気なふりをしていたのか、高校生の私にも、さらっとそういう話をしました。母方の祖父も女性関係が盛んな人だったので、慣れがあったのかもしれません。

 

実際、父がふらっと私の高校の体育祭を見に来たときには、何人かの友人から「お父さんがハンサムだ。」と言われました。そのころの私は、父がハンサムだなんて夢にも思っていませんでした。

 

<出生>

 

父は山陰の漁港近くの家で生まれました。父曰く、漁師の親方だったということです。父の幼少期には、祖父が萬祝(漁師の長着)を着ていた記憶があると言っていました。

 

また、父の実家の庭にはソテツの木がありました。ソテツは日本で自生しているのは九州以南です。

 

父や父の親戚は山陰唯一のソテツと自慢しておりました。この、ソテツが父の実家が広範囲に漁をしていた証拠だと認識していたようです。

 

父は大正11年(1922年)の生まれです。父が生まれた地域は、全国的に有名な古社の門前町から少し外れた場所で、その神社までは徒歩圏の場所です。旧家も多くまた古い因習の残る場所でした。

 

その地域は、もともとの地元の住民がよそから移り住んできた人を差別していたようです。このこと自体特に珍しいことではありません。素性が分からないということに対する警戒感が差別意識を生んだものと私は理解しています。

 

父の母、私の祖母よそから来た人の娘でした。祖父は、多少は裕福な家の息子だったのでしょう。結婚が認められず、朝鮮へ駆け落ちをしたと聞いています。どういう経緯かは分かりませんが、その後正式に結婚しています。第一子は女の子、私たちのおばです。第二子が男の子、私たちの父です。

 

祖母は、父が幼児のころに肺結核でなくなっています。叔母は父はとてもおとなしい子供で、いつも家の中でも膝を抱いて座ってじっとしていたと言っていました。

 

父自身は、自分が山で柴を刈って、それを売ることでお小遣いを稼いでいたと言っていました。たぶん中学生頃の話だと思います。このことを祖父にひどく叱られたといっています。

 

その怒り方というのが、こっばで後頭部を殴るという子供にはひどく厳しいものだったということも言っていました。父が私たちを叱るときには手が出ました。この時の影響だろうかと思っています。

 

父が、祖父に可愛がられていたのかどうかは想像がつきません。いずれにしても、当時珍しい父子家庭だったのです。たぶん叔母は家事全般を引き受けていたのではないでしょうか?多少裕福だったようで、お手伝いの女性はいたかもしれません。

 

<祖父の再婚>


祖父が再婚したのは、父が中学生の時でした。義祖母は男子二人を出産しました。父とは12歳ぐらい離れた弟たち、私たちの叔父たちです。祖父の再婚後も父は借りてきた猫のようにおとなしかったそうです。叔母は継子いじめがあったといっていますが本当のところは分かりません。

 

祖父からしてみれば、大きくなった長男よりは小さな次男三男の方が可愛かったであろうことは想像がつきます。いずれにしても長男(父)と義祖母の関係は円満ではなかったのでしょう。

 

このころは長男が家督相続をして、次男や三男には相続権がありませんでした。家督を相続した長男が家長として次男や三男の生活的な面倒を見たのです。養子の口を見つけたり、家業の一部を任せたりするのが一般的な方法です。

 

義祖母は長男(父)が自分の子供たちのためにうまくやってくれるという信頼感もなかったのでしょう。まして、義母として自分の立場を安泰にしてくれるという信頼感を持っていなかったのでしょう。祖父の実印を盗んで、長男(父)を禁治産にしてしまったと聞いています。

 

全て、父や叔母の話です。本当の事情は分かりません。


 

<大阪の百貨店に勤務>


 

実家の遺産を相続できなかった父は、大阪へ出て働きました。どういう経緯かわかりませんが、大阪の百貨店で働いたそうです。今は立派な大企業ですが、そのころの百貨店がどの程度の企業だったのかはわかりません。

 

その時代は百貨店などの小売業には多少の偏見があって、水商売という扱いだったように聞いています。職場自体は大阪の梅田でしたが、社員寮は大阪の近郊都市にあったそうです。現在もそこには創業者の記念館(居宅跡)があります。

 

百貨店在勤中に、その百貨店所有の剣道場で創業者に剣道の手合わせをしていただいたことがあるように聞いていますが、実際のところは分かりません。

 

百貨店をやめるきっかけになったのは、百貨店の隠匿物資を闇市に横流ししたからだという話を母から聞いています。これも本当ところは分かりません。

 

<第二次世界大戦>

 

太平洋戦争では、フィリッピン戦線に配属されました。実戦に、非常に激しい戦いのあった部隊です。捕虜となって敗戦とともに帰還しています。

 

父は、夜道を歩いていると、突然電柱の陰に隠れて誰かから身を隠すような行動をとりました。私はその芝居じみた様子が非常に恥ずかしく嫌いでした。今思えば戦争の時のフラッシュバックだったのかもしれません。

 

<出会い>

戦後は故郷で鉄工所を営んでいました。近所に住む親友と共同経営でした。このころの大阪の取引先が母の実家です。商用で、母の実家を訪れたときに母と出会っています。父27歳、母22、3歳のころです。

父はそのころの人としては背が高く美男子でした。母方実家は、全員背が高くなかったので、母は一目ぼれしてしまいました。母は、その日から毎日、父に手紙を書いたそうです。

 

半年間毎日毎日手紙を書いても、ただの一度も返事はなし。諦めかけていたころ、父が突然、母の実家へ行って、「娘さんを嫁に下さい」と申し込んだそうです。母方祖父は大反対でした。

 

母方祖父は、父が気に入って、大阪へ来たときには必ず家に呼んで食事をさせました。母が父に夢中になったのは、この母方祖父の影響があったのではないかと思われます。にもかかわらず、娘との結婚には大反対だったのです。

 

母方祖父は、父は面白い男だけれども、いい家庭人にはならないということを分かっていたのだと思います。

 

<レッド・パージで逮捕される>

 

また、レッド・パージでつかまったことがあるようにも聞いています。家にマルクス主義の本があったというだけのようです。

 

このことがあって、当時警察官だった叔母の夫が退職を余儀なくされたと聞いています。これは事実のようです。つまり、叔母一家には、ずいぶん迷惑をかけたのです。その叔父も叔母も今は亡き人です。

 

このことが、鉄工所を続けられなくなった一因かもしれません。


 

<結婚>

 

縁談がまとまって結婚式は父方地元の神社、披露宴は親戚の旅館で行われました。

 

新婚当初は、父方実家の近くで暮らしていました。母方実家から、ケヤキの箪笥を誂えて、鉄道チッキで送ったという話です。この箪笥は今はもう傷み切ってはいますが、まだ長男、私の弟の家に置かれています。

 

新婚当初、近所の浜を散歩しながら、母が「ヤシの実」をうたったところ、父がひどく喜んだという話を聞いています。新婚の両親の初々しい話です。


 

<大阪へ転居>

結婚後どういう経緯で大阪に出たかはわかりません。憶測ですが、父が経営していた鉄工所が立ち行かなくなったためだと思います。レッド・パージの件も無関係ではないでしょう。

 

大阪へ出てからは、大阪宗右衛門町のキャバレー、「それいゆ」のボーイ、リンタクの運転手などをしていました。

 

リンタクの運転手当時、ジェーン台風のその日に、長女の私が誕生したと聞いています。台風のおかげでリンタクが儲かって、おかげで出産費用ができたという話です。このころ城東区の関目神社の近くに住んでいました。母の実家から近いところです。

 

その後蛍池に引っ越しています。一軒の家に間借りしていた記憶があります。伊丹空港に米軍が駐留しており、米軍機の見学に連れて行ってもらったことを覚えています。

 

その後母方実家近くに引っ越して2階建て長屋住まいをしています。小さなパン屋兼駄菓子屋兼お好み焼き屋をしていました。

 

父はどこかへ働きに出ていました。多分、友人と会社を興した時期だと思います。

 

45歳から幼稚園、小学校2年の1学期までこの家に住んでいました。母の実家からは徒歩圏の場所です。幼稚園も小学校も、まだあります。

 

このころ、何が起こったかは子供にはわかりませんでしたが、何日ぐらいか隣の鍼屋さんに預けられていた時期がありました。母は警察病院に入院していて、父は、たぶん警察に拘束されていたと思います。

 

本来なら母の実家の家で預かってくれるところ、隣の他人に預けられたのですから、それだけの事件が起きたということだと思います。後で知ったのですが母はこの時流産したと聞いています。

 

小学校と母の実家は裏表だったので、家の商売もの食パンを毎日届けていたのを覚えています。もちろん、母方実家が、売り上げに協力してくれていたものでしょう。このころ会社の共同経営者だったそうです。結局追い出されるような形でやめたのだと思います。


 

<転居、食堂開業>

 

小学校2年生の夏休みは私は母の実家に預けられていました。家に帰るということで、帰った家が、その後30年暮らす家で、以前の家にはそれから一度も帰っていません。

 

新しい家では、赤ちゃんが生まれていました。7つ違いの弟です。家は食堂を開業しました。屋号は父の実家の酒屋の屋号にしました。

 

父としては、一念発起の開業だったのでしょう。一カ月ぐらい、住吉大社のうどん屋さんで修行したと聞いています。おかげで、味はたしかなものでした。多分飲食業の認可も受けていたと思います。父36歳、母30歳ごろの話です。

 

開店の日、母の妹が手伝いに来てくれていました。初日に向かいの内代小学校の先生と喧嘩をして帰ってきたのを覚えています。父が商売気がないと怒っていました。

 

両親とも忙しくて、子供はほったらかしでした。そんな中、妹が生まれました。近所の産院でした。

 

1231日は、年越しそばでうどん屋が儲かる日でした。父は弟をおんぶして天満市場に仕入れに行ったのでした。一人息子で、今思えば、ずいぶん可愛かったのだろうと思います。

 

商売は繁盛しました。このころ、父のいとこである人がが家に来られました。恰幅のいいきれいな顔立ちの人でした。開店祝いにといって、飾り鏡を持ってこられました。

 

 

<三階建てに増築、下宿業開業>

 

この勢いに乗って家を増築して下宿業を兼業するというのが父の計画だったのです。今思えば、個人の小さな食堂の経営を安定させるのには、そこそこ優れたビジネスモデルだったのです。

 

資金は、福徳相互銀行から借りました、日賦です、毎日集金があります。集金時間までに売り上げを揚げなくてはいけないので、その重圧は凄いものだったと思います。

 

父は2階建てにしたかったようですが、この時の建築会社がといっても個人ですが、勝手に3階建てにして部屋数を増やしたと聞いています。これが違法建築だったことで父が激高して、建築会社の社長をケガさせてしまいました。これも警察沙汰になりました。

 

母はこんな時、父も悪いとは絶対に言わないのです。あくまで相手が悪いといいました。

 

実際には、この違法建築の家が私たち兄弟を進学させてくれたことになります。部屋数の多さが私たちを大いに助けてくれたのです。現実は皮肉なものです。

 

<肺結核にかかる>

父は、借金の重圧と家が違法建築だという腹立たしさで相当のストレスを抱えたと思われます。

 

ある時、風邪が長引くので、近所の石川医院に行きました、一カ月たっても風邪の治療を続けていましたが、思い余って別の医院に行きました。近所の原田医院です。原田医院で結核の診断が下り即入院となりました。

 

入院したのは、藤井寺の結核病院です。(のちに孫が入学した看護大学はこの病院の敷地内にありました)

 

肺結核は当時としては、不治の難病です。結核で死ぬ人はたくさんいました。40歳になるかならないかで家を建てて意気軒高としていた時期に襲われた一生の不覚でした。

 

父は、荒れてしまいました。一番の大きな問題は、本業であるうどん屋を閉店せざるを得なくなったことです。幸いに、そのころには、下宿業が稼働していたので食べるに困ることはなかったのですが。

 

40歳の男が病魔に取り付かれた失意というものは相当なものだったと思われます。下宿業を継続するためには、父が肺結核を患ったということは、世間に知られてはいけないことでした。

 

父が藤井寺の病院に入院中、月に一度ぐらいの頻度で親子3人で見舞いに行きました。

 

母は着物を新調し、子供にも少しマシな服を買ってくれた記憶があります。幼い妹をおんぶして二人の子供の手を引いて、行くのですからずいぶん疲れたと思います。

 

私は、めったにない遠出でしかも、怖い父がいない外出なのでとてもうれしかったのです。この時に作った着物は、母が50歳を過ぎても愛用しました。

 

父は何度か夜中に病院を抜け出して戻ってきました。今思えば、よく、私たちに感染しなかったものです。当時の医療では子供が感染した場合には命はなかったものと思われます。

 

母が言うには、パスという薬の副作用だということでした。パスは妄想の副作用があったのです。幼い子供と、妻を残しての入院は、ひどく気がかりだったことでしょう。

 

脱走の頻度が多すぎて父は藤井寺の結核病院から入院を断られてしまいました。そののちは、家から徒歩圏にあった市民病院に入院しました。この病院は近かったので、母が毎日行っていました。おかげで、脱走回数は激減しました。ここでの入院が、4年ぐらい続きました。

 

<退院>

 

父が結核を治して退院した後も、うどん屋を開店することはできませんでした。下宿業が安定していたし、それに重ねてうどん屋を開業するほどの体力もありませんでした。

 

父は機嫌のいい時には、アパートの掃除をしました。調子の悪い時には、昼間から酒を飲みました。だんだん、酒を飲む日が多くなって、やがては何度も胃潰瘍で入院するようになりました。

 

<千樹園に逗留>

このころ、近所に千樹園という旅館がありました。大きな旧家の居宅をそのまま、旅館として使っていました。父は、その旅館の離れに長逗留することが増えました。

 

私たち子どもは、怖い父がいない楽しい日々を過ごしました。母は下宿業をこなして忙しい日々を過ごしていました。この千樹園の長逗留は、今考えても怖くなるような浪費でした。

 

このころ、父は自分の経済状態に何か錯覚をしていたのかもしれません。家族で百貨店に出かけて行って大散財をしたのです。母に、カシミヤのコートを誂えて、ウォルサムの時計を買ったのです。今なら30万円ぐらいの買い物です。帰りには、大食堂でみんなで食事をしました。

 

我が家の経済状態は、一度の買い物で30万円を使える状態ではありませんでした。

 

普通の家庭なら、夫の浪費が過ぎれば妻が文句をいい、大事になる前に浪費が治まるのですが、母は父が怖くて何も言えませんでした。

 

家の貯金はみるみる減ってしまいました。旅館に長逗留などすれば、大金がかかることなどわかり切ったことでした。

 

ですが、父は、家の預金が底をついたことを激怒したのです。身勝手な話です。酒乱、DVはもともとあった気質ですが、この時期に一気に加速しました。

 

飲酒、酒乱、DV、入院のループが続きました。期間にして約5年間ぐらいです。父は慢性的な胃潰瘍状態でしょっちゅう吐血していたのです。それでも、ガン化することはありませんでした。

 

このころの父の生活は、暇に飽かして本を読み、酒を飲み、自分の実家の話をし、継母への恨み言をいい、子供に恐ろしく長い時間説教をする暮らしでした。

 

このころ父が読んでいた本が、オール読物や文芸春秋でした。私は、これらの大人の大衆小説をよく読んでいたのです。

 

また、髪が薄くなってきたのを嫌がって、しきりに髪の素という育毛剤を使っていました。父は老醜を非常に恐れていたようです。後日母から聞きました。

 

この間も母は下宿業を頑張っていたのです。毎日の掃除、朝夕の食事、昼弁当、これを多い時には123人分やっていました。これに加えて、家族の掃除洗濯、父の酒の相手が有ったのです。このころの母は慢性的な過労状態で、座れば寝てしまう、寝ては父にひどく叱られるという繰り返しでした。

 

<事故>

父の飲酒の頻度が少し減って、穏やかな状態が続いていた頃、父が、階段から落ちて後頭部をコンクリートの敷居に打ち付けました。休みの日の前日の午後8時ごろ。家に帰ったところ母が階段下で慌てていました。そのそばで父が倒れていたのです。階段から落ちて、コンクリートの敷居に後頭部を打ち付けていました。

 

慌てて、座敷に上げました。「あ~あ、またしょうもないことになって。しばらく痛いとかなんとかうるさいな。」ぐらいに思っていました。その時、耳から出血していて、いびきが聞こえたのを覚えています。それが、ものすごく重要なこととだとは知りませんでした。

 

いつも、もめごとが多い家なので、あまり人目につかずに病院へ連れていきたかったのでした。タクシーで病院へ運びました。この時、タクシーの後部座席が血で汚れて、運転手が怒っていました。着いた病院は、近くの田林医院でした。田林医院で医師がすぐに救急車を呼んで運ばれたのが行岡病院です。

 

この病院の医師の説明を聞くまで、これが深刻な事態だとは分からなかったのです。また、入院生活が始まると思っていました。私19歳の4月のことです。

 

行岡病院で医師から、「危ない状態です。」といわれました。「危ないって、障害が残るんですか?」と聞いたところ「命が危ないんです。」といわれました。それでも、まあ、めったなことはないだろうと思っていました。

 

ベッドに寝たまま、手術などもなく、ただ、注射と点滴などが行われる中、父は臨終しました。臨終直前に両手が宙に向かって泳ぎました。

 

この時は49歳になったばかりだったと思います、父の誕生日が420日、最後の誕生日に、私は父にネクタイピンをプレゼントしていました。そういうものを贈る年になったかと父が喜んでいたことは、ずっと後で知ったのです。

 

<死亡>

父が亡くなっったのは深夜12時ごろだったと思います。家では弟や妹が待っていました。

 

そのあとどういう段取りで葬儀が行われたのかよく覚えていません。ただ、父が亡くなったことを近所の知り合いに連絡する時、なぜか、へらへら笑っていました。

 

父が亡くなったという実感がなく、ただ、家に人が集まるので愛想よくしていたのです。葬儀の時もあまり泣きませんでした。とにかく実感がなかったのです。

父と鉄工所を共同経営していた人から弔電が届きました。文面は「じゅんちゃん、さよなら」でした。父は、母の実家の家では「じゅんちゃん」島根では訛って「ずんちゃん」と呼ばれていました。

 

共同経営者の方は、様々な商売をされたがうまくいかず、最晩年には地元の神社何かの作り物を売り歩いておられたようです。父の弟のおじさんの話です。その叔父さんも、今は亡き人です。


この時弟12歳、妹9歳です。彼らは父の晩年の酔った姿や、母を怒り倒す姿しか覚えていないでしょう。実は私も、そのような姿しか印象に残っていませんでした。

 

母が認知症になった時に、初めて父をかわいそうに思うようになりました。母こそが父を本当に愛していた人です。その人が、もう父を覚えていないのだと思うと、父が哀れだと思うようになったのです。

 

自分に孫ができたときに、父は、孫の顔を知らないのだと思うと、またかわいそうになりました。

 

父は親の愛には恵まれなかった人だと思います。

 

父は考え事をするときに、無意識に口をとがらせる癖がありました。私は、壮年期以上の男性は皆そのようなしぐさをするものと思っていました。今思えば、そのしぐさは、幼かった父が、母のいない寂しい環境の中で口をとんがらせながら、心の不満を抱えていた時の顔ではなかったかと思うようになりました。23歳の幼児が、寂しい気持ちを誰にも言えずに過ごしていた時の、それこそ、泣きそうな顔だったのではないかと思うようになったのです。

 

母という愛の深い人に出会ったことは、父の人生の中の数少ない幸福だったのです。その母も今は忘却の川にたゆたいながら自分の生を生きています。あと何年かすれば二人はどこかで出会って、穏やかに過ごすことだろうと思います。

 

来年の4月には父の50年祭が行われる予定です。