親族の自死が起きてしまったとき、

子どもにどのように伝えるか。

これは切実な問題だ。

 

言いにくいことは言わないで済ます人が多いだろう。

しかし、子どもは色々なところから

有ること無いことを聞かされてしまう。

 

太宰治の次女、津島佑子は、

小学校4年生のとき、

「君のお父さん、人殺しなんだって?」と

聞かれて、そんなはずはないと思いつつ、

真実を聞かされていないので、

反論のしようがなかった。

 

父が太宰治という作家だということは知っていた。

家に本があったから。

思い余って、学校の図書館の人名辞典で、

「入水」という言葉を見つけて、

司書の先生に、「入水って何ですか?」

と聞いたら、「海や川に自分で死のうとして入ることよ」

と教えられた。

「よかった、お父さんは、人殺しではなかった」

と思ったという。

司書の先生は、それ以上の説明をされなかった。

「たぶん、司書の先生は私の父についてすでに知っていたのでしょう。

でも、私にはなにもよけいなことは言わずにいてくださったのだと思います。

それは、本当にありがたい配慮だったと感謝しています。」

(津島佑子『山のある家 井戸のある家』)

 

母親に「お父さんは、何で死んだの?」と聞いても、

「心臓が止まったから」としか言わなかった。

「じゃあ、なんで止まらないように看病しなかったのか?」

と思ったのだそうだ。

それ以上聞いてはいけない雰囲気を感じて

黙ってしまったという。

 

子どもの時の気持ちをよく思い出して書いておられる。