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(沖縄父の学校の兄弟たちと 後列右端が私)

 自分の父のことばかり言いましたが、

自分が父として子どもにどんな影響を与えているのかは、まだ分かりません。

一つ言えるのは、自分も父の欠点を受け継いでいるらしい、ということです。

 愛する妻は、私に対する願いとして「怒鳴らないでほしい」とよく言いました。

問題は、私に、怒鳴っていると言う意識がないことです。

ですから「怒鳴ってなんかいない!」と、またまた「怒鳴る」ことを繰り返しました。

 顧みると、妻も最近は、「怒鳴らないで!」と言わなくなりました。

怒りを感じることはあっても、健康的な伝達の仕方を私が覚えたのでしょう。


 私にとって、愛する妻に「愛しているよ」と言うことはそんなに努力がいりません。

ただ、横浜の父の学校で、妻の顔を見ながら「君は愛されるために生まれた」を歌いましょう、

と言われてどうしても顔を見て歌うことができませんでした。

妻にも「目が泳いでいた」と言われます。

 私が「父の学校」に参加することは、妻も大賛成です。

 娘達に「愛している」と伝えることも、ずいぶん努力がいります。

三人の子どもたちに「宿題」の手紙を出すことも大変でした。

けれども、書いて渡すことができました。娘たちからは「お父さん、ありがとう」と返事が来ました。

 今年の夏に、親と暮らせない女児を一人預かってともに暮らしました。

実子がほとんど手を離れたので、まったく知らない子を少しでも預かりお役に立てれば、

という気持ちでした。

 この子を連れて、子どもの喜びそうな場所に遊びに行きましたが、どこに行っても、彼女は、

 「ここ、お父さんと来たことがある」

と言います。実は、来たはずのない所なのです。私の耳には、


 「ここに、お父さんと来たかった」、

また

「今度来るときはお父さんと来たい」

と言っているように聞こえてしまいます。 

 娘たちから、いつの日か「お父さんの子で良かった!」と言われるような父親になるのが、

私の夢です。

(完)