日曜のNHKニュースで、若い介護士の心理ストレスの問題を取り上げてました。


介護をしていたお年よりが亡くなって、突然目の前からいなくなる。


でも、次の瞬間、次のお年寄りの介護にずぐ向き合わなければならない。


寄り添っていた人の死を悼む間もなく、次の人のお世話に移らないといけない。


そうでしょうね。これはかなりのストレスというか、自分がわからなくなってしまいそう。


自分の中で、きちんと作業整理することができないと、つぶれてしまうでしょうね。


不妊の患者さんへ寄り添う我々の仕事も同じだなと思いました。


たくさんの努力と労力と金銭を費やして、、、、でも結局結果が出ず。


その悲しみに相対するのだけれども、次の瞬間は次の患者さんに希望を持って治療に


望むように伝えている。そして、妊娠した喜びを共有する。


自分でも昔からずーっと、違和感というか微妙な感じを思っています。


医療人は役者でないといけないのだろうか?


そう、少しはそうでないといけないのかも。


でも、喜怒哀楽をあまりに表現すべきではないのでは、というのが自分がここまでに


いろいろ経験してつかんだ自己表現のようです。


僕は患者さんが妊娠に至っても、そんなに感情的に喜びを爆発させるようなことはできません。


きっと、たくさんの結果が得られなかった患者さんへの感情がそうさせるのかもしれません。


そう、患者さんご自身がたくさん喜んでくれればそれでいいのです。


淡々と淡々と、事実を間違うことなく伝えていくのが僕の使命なのだと。