ヘカテはギリシャ神話の女神であり、アルテミスの従姉妹にあたる。冥界の神であり、闇と魔術を支配する存在である。ギリシャ神話の神々たちの多くは艶めかしい存在であるが、その中でもヘカテは夜に蠢く淫靡な存在として畏怖されてきた。

映画「ヘカテ」は１９８２年、日本では８３年に公開されたフランス映画だ。

物語は１９４２年のベルリンから始まる。駐独フランス大使となった主人公ジュリアン・ロシェルが出席したレセプション・パーティーで給仕によりシャンパンがグラスに注がれ、その泡と共に彼の回想が始まる。

第二次世界大戦前の１９３０年代、ジュリアン・ロシェルは外交官としての最初の赴任地である北アフリカの地方都市、そこは海辺に面した砂漠の町、に赴任した。そこで彼は出世コースから外れてしまった人のいい領事のもとで外交官としてのキャリアをスタートさせる。

あるパーティーの会場でジュリアンは一人の年上の女性クロチルド・ド・ワットヴィルと出会う。その人は暗がりの中で背を向けていたのだが、彼女が振り返った瞬間に目が合い、彼はその妖艶な美魔女に微笑みに一瞬にして虜にされてしまう。

そこから彼の外交官としての生活は自堕落なものとなっていく。ジュリアンはクロチルドとの愛欲に溺れ、彼女を独り占めしたいと思うのだが、彼女はジュリアンを焦らすように何日も行方をくらましてしまう。彼の嫉妬心はやがて彼女が別の場所でアラブ人の少年を愛人として淫らな夜を重ねているという妄想となっていく。そして自制心を失った彼は、ある夜、彼女の愛人と思い込んだ少年を犯してしまう。

彼の不道徳な行為はアラブ人社会から、その土地のイギリス領事官へ訴えられる。このことは問題となり、彼の外交官としての人生は終わりかけるのだが、人のいいフランス領事の本国への計らいでジュリアンは中国へ赴任することになった。彼はクロチルドと、中国での再会を約束してその土地を離れた。しかし約束は果たされることがなくジュリアンは赴任地中国での仕事を淡々とこなしていき、それは彼の外交官としての評価につながった。離任に当たってジュリアンはメキシコ大使館での勤務かシベリアでの特殊な任務かのオファーを受けるが、彼はより危険なシベリア勤務を選んだ。そこにはクロチルドの夫が傭兵としているからだ。

シベリアで彼はクロチルドの夫を訪問する。そこで彼が見たものは夜の女神にいまだに捕らわれて心の平安を持てない哀れな男の姿だった。

そして１９４２年のベルリンへと物語は展開する。駐独フランス大使となったジュリアンは、あるレセプション・パーティーに参加する。そこで彼はテーブルに一人で座っている女性を見かける。クロチルドだ。その席に赴いた彼に彼女は静かに微笑みながら「こんばんは」と囁く。彼はシベリアで彼女の夫に出会ったことを話す。そしてジュリアンはクロチルドに、彼女の夫と同じように心の傷が癒えていないこと告げた。

彼女は焦らしながらゆっくりと囁いた。「何も言わないで」そして微笑みながら「言葉はいつも遅い」と囁き、席を立って歩きだすのだが、ジュリアンを振り返って「早すぎることも」と彼に告げ、廊下の闇へと消えていった。

ジュリアンを演じたのはフランスの役者ベルナール・ジロドー。落ち着いた演技が良かった。彼の上司を演じたフランス人役者のジャン・ブイーズの演技も印象深い。そしてクロチルドを演じたのはアメリカ人のローレン・ハットン。彼女の美魔女ぶりはとても妖艶で蠱惑的だ。

最後にクロチルドが廊下の闇に消えて行ってエンドロールが始まるのだが、このシーンは冒頭の部分へと繋がっていく憎い演出だ。原作はポール・モランドの「ヘカテと彼女の犬」。監督はスイスのダニエル・シュミット。「ヘカテ」以外は日本での知名度はないが、この人の他の映画も見てみたいと思わせるほど、映画「ヘカテ」の演出は冴えていた。

一般的にフランス映画はテンポがゆっくりで、マニアック過ぎる傾向で退屈なものが多いが、この映画はローレン・ハットンの魅力を十分に引き出せた監督の手腕で大変印象深い映画となった。また音楽を担当したカルロス・ダッレシオの南米風なスローワルツのテーマも心に残る逸品だ。

私の評価は4.5点、満足度９５でほぼ満点に近い。我ながら懐古趣味だと思うが、最近の映画の傾向、役者の魅力を引き出して観客を魅了するのではなく、役者の知名度で（アメリカと比較して）低予算の映画に観客の足を運ばせる映画作り、謂わば役者も監督も製作者の駒に過ぎないものが多い、に正直うんざりしているところなので、このような昭和の香り漂う作品にある意味清涼感を覚える。

この映画はアマゾン・プライムで視聴可能だ。

「いやあ、映画って本当にいいですね」

「さいなら、さいなら、さいなら👋」

夜の女神～ヘカテ