白河は古くから交通の要衝として発展し、「みちのくの玄関口」として知られた地。奈良時代には白河関が置かれて奥州の関門としての役割を担い、江戸時代には白河藩の城下町として栄えた歴史がある。

駅の北側の白河城は小峰城跡とも呼ばれ、結城親朝が14世紀に築城し、江戸期に初代藩主の丹羽長重が完成させた、梯郭式の平山城。後に松平定信をはじめ、7家21代の大名が居城し、現在はシンボルの三重櫓や表門の前御門が復元されたほか、帯曲輪の石垣が往時の名残をとどめている。

城下町は駅の南側に広がり、旧奥州街道に沿って旧市街の町並みが広がる。かつての商家町の本町には、脇本陣柳屋蔵座敷や本陣芳賀家跡ほか、松河屋、大谷忠吉本店、玉屋などの老舗も。駅前の商店街の中町から西は、天神町や金屋町など古い町名が残り、交差点には防御を狙った鉤型の交差が、あちこちに残っている。

ひと筋南の門前通り沿いは神社仏閣が集まり、勝軍地蔵堂の先の関川寺は結城宗広の墓所があり、境内には結城桜や城の土塁、空堀も見られる。ほか白河ハリストス教会、小原庄助墓がある天恩皇徳寺、大網常瑞寺などが沿道に続く。

昭和レトロの古い酒場街が続く新蔵通りから、大野屋染物店や本家富川屋染物店などの染物屋がら並ぶ老舗通りを経て、谷津田川せせらぎ通りを通り白河駅へ戻り、散策は終了。