日立さんぽの前半で市街を歩いたら、後半は市街の南側に広がる海岸工場の事業所に沿って、工場の風景を眺めながら歩いた。海岸工場は日立製作所の創業の工場で、電力発電設備・一般産業機器からパワーデバイスまで幅広く携わっていた、文字通り日立の街を支えた事業所だった。
しかし、現在は日立製作所ではなく三菱重工の日立事業所に。2010年代の経営不振に伴う合理化で、日立製作所と三菱重工業が火力発電システム事業を統合して「三菱日立パワーシステムズ」が発足し、ここはその関連工場となったのである。三菱側が主導する会社のためで、社名はもちろん亀の子ロゴもスリーダイヤに変更。三角屋根の建屋や鉄骨が錯綜する中、時折「日立」の文字が垣間見えるのが、ちょっと物悲しい。
日立製作所は地元では略して「日製」と呼ばれていて、海岸事業所の敷地の東側の道は「日製正門通り」との名が残る。沿道はまさに、日立の企業城下町の中枢といえる地区で、海岸工場は三菱に名を譲るも、日立パワーソリューションズ、日立GEなどの関連会社は健在。通りの左右からHITACHIロゴが入ったビルが迫るのは、何とも壮観だ。
通りの南側の外れは、かつての日立製作所海岸工場の正門で、本館のビルは「日立製作所日立事業所」の看板を掲げ、かつての姿を今もとどめている。海岸工場のまわりを歩けば、日立製作所の変遷と日立の街との関わりの深さを、実感でき興味深い。
しかし、現在は日立製作所ではなく三菱重工の日立事業所に。2010年代の経営不振に伴う合理化で、日立製作所と三菱重工業が火力発電システム事業を統合して「三菱日立パワーシステムズ」が発足し、ここはその関連工場となったのである。三菱側が主導する会社のためで、社名はもちろん亀の子ロゴもスリーダイヤに変更。三角屋根の建屋や鉄骨が錯綜する中、時折「日立」の文字が垣間見えるのが、ちょっと物悲しい。
日立製作所は地元では略して「日製」と呼ばれていて、海岸事業所の敷地の東側の道は「日製正門通り」との名が残る。沿道はまさに、日立の企業城下町の中枢といえる地区で、海岸工場は三菱に名を譲るも、日立パワーソリューションズ、日立GEなどの関連会社は健在。通りの左右からHITACHIロゴが入ったビルが迫るのは、何とも壮観だ。
通りの南側の外れは、かつての日立製作所海岸工場の正門で、本館のビルは「日立製作所日立事業所」の看板を掲げ、かつての姿を今もとどめている。海岸工場のまわりを歩けば、日立製作所の変遷と日立の街との関わりの深さを、実感でき興味深い。
