今回の那覇さんぽで、ひとつのポイントになったのが辻エリア。原色系ネオンきらめくお風呂屋さん街なのだが、ルーツは琉球王朝時代から続く辻遊郭だ。各地の遊女を三か所に集めたうちの一つで、王府公認の公娼街として役人や公使をもてなす最高級の遊郭だった。
遊女は尾類(じゅり)と呼ばれ、教養もある素養が高い女性。辻の遊女は貧民の親に売られた娘が多く、元締め役のアンマーを中心に疑似家族組織を作って形成されていた。義理人情で繋がった人間関係のため、売買の悲壮感はなかったとも。辻はこうした女性が集まった自治都市、女性のみで運営された一つの村組織だったという。
後に界隈には、芸事を鑑賞する社交の場として料亭が建ち並び、三大料亭の中で唯一現存する料亭那覇は、現在も伝統的な琉球芸能の実演が鑑賞できる。料亭松乃下の跡は老人福祉施設になり、その背後の丘には辻遊郭開祖の墓があり、高台から今も辻の市街を見守っている。
遊女は尾類(じゅり)と呼ばれ、教養もある素養が高い女性。辻の遊女は貧民の親に売られた娘が多く、元締め役のアンマーを中心に疑似家族組織を作って形成されていた。義理人情で繋がった人間関係のため、売買の悲壮感はなかったとも。辻はこうした女性が集まった自治都市、女性のみで運営された一つの村組織だったという。
後に界隈には、芸事を鑑賞する社交の場として料亭が建ち並び、三大料亭の中で唯一現存する料亭那覇は、現在も伝統的な琉球芸能の実演が鑑賞できる。料亭松乃下の跡は老人福祉施設になり、その背後の丘には辻遊郭開祖の墓があり、高台から今も辻の市街を見守っている。
