宮崎県の延岡は、県北の主要都市で旭化成の事業所が集まる企業城下町、かつ内藤家などが城主を務めた延岡城の城下町でもある。駅に隣接の公共施設エンクロスには蔦屋書店とスタバが入っており、若者の姿が多く賑わうのもこの一角のみ。駅前から今山大師の参道商店街に入ると、ローカルな飲み屋街や地元向けの店舗が並ぶ、鄙びた風情となる。

観光的な見どころは2つで、駅に近い今山大師は徒歩15分ほどの山上にある。延岡に流行病が蔓延した際、高野山金剛峰寺から弘法大師座像を勧請したのが所以で、境内には高さ17mの日本一の大師像が聳え立つ。境内にはほか像の台座の下に四国八十八ヶ所のお砂踏み、札所の祠が並ぶ今山八十八ヶ所巡り、観音像と羅漢像を撫で回る七羅漢観音巡りなど、様々な縁起物が配されご利益のテーマパークの様相である。

隣接する今山八幡宮は延岡の総鎮守の社で、参道のは一本石の御影石が続く石段としては日本一の長さとか。石段の麓には恵比寿社もあり、十日えびすが間近で準備中だった。門前の高千穂通りから中心市街の祇園町方面へは、舗道やオブジェが整備された通りが続いている。祇園町交差点には時のエリアと旅のエリアの2つの広場があり、一時間計の砂時計のオブジェも。板田橋で鮎簗で知られる五ヶ瀬川を渡り、中央通りへと折れると市役所と野口記念館を経て、延岡城跡の城山のたもとへと出る。

延岡城は豊臣秀吉の命を受け、豊前国の高橋元種により1603(慶長8)年に築城。以後肥前から有馬氏、下野から三浦氏、三河から牧野氏、磐城から内藤氏が入封するなど、城主が変遷した城である。現在は石垣のみが残り、石御門跡が残る三の丸、天守の役割だった三階櫓の跡、天守はなかったとされる天守台に建つ鐘楼堂、本丸広場に立つ最後の藩主の内藤政拳像など、城跡の史跡を巡った。

三階櫓跡と鐘楼堂の横が展望スポットで、市街の先に東海半島と日向灘、南に愛宕山が聳える姿が。大瀬川の南には、旭化成ベンベルグ工場の広大な事業所と紅白の煙突も臨める。自然石を積んだ石垣は「千人殺しの石垣」と呼ばれ、有事に石を外すと崩れ一挙に千人の敵を倒せたとも。

復元された北大手門を抜けて内藤家墓所の脇を抜け、延岡の史料を集めた内藤記念博物館を眺めてから、五ヶ瀬川沿いの土手を引き返す。堤防には水仙の花が植えられ、河川敷を見下ろしながら気持ちよく歩ける。堤防は「畳堤」と呼ばれ、洪水の危険がある際に畳を立てて防ぐ、全国で三ヶ所しかない珍しい仕組みだそう。

来た道を引き返し、山下新天街のローカルアーケード商店街を抜けたら延岡駅。お疲れ様でした。