天気が曇予報なので今日は帰るつもりだったが、行ってみたら好天に恵まれた花巻さんぽ。何度か来ている町で、宮沢賢治ゆかりの地をベースにルートを設定。駅から銀河鉄道の夜の大壁画と花巻神社、もと花巻電鉄の線路跡を通り静態保存の馬面の路面電車を眺めてから、赤煉瓦の防空監視哨聴音壕を経て、まずはぎんどろ公園を訪ねた。ぎんどろの木をはじめ園地のまわりが木々に囲まれた公園で、紅葉とイチョウの紅葉が盛りで園内は色鮮やか。『風の又三郎』ゆかりのオブジェが周囲の風景とマッチしていて、どっどど、どどうどの風の音が聞こえてくるような。
菩提寺の身照寺、賢治の友人にゆかりある鼬幣稲荷神社を巡って、豊沢川沿いの土手の上へ。遊歩道は「心象ロード(賢治思索の道)」との名がつけられていて、開けた河川敷をゆく空が広く感じられる気持ちのよい道だ。JRの鉄橋をくぐって豊沢橋を渡り、花巻大三叉路から県道を行くと同心屋敷・桜地人会・雨ニモマケズ詩碑・下の畑の看板の、賢治ゆかりの見どころが連続する。もと氏の住居があった森の中に立つ詩碑は、碑文に木漏れ日があたり神秘的な雰囲気。「下の畑」の看板の先の高台からは北上川の河川敷の畑が広がり、これが賢治の心象風景のように思えてしまう。
看板に従い河川敷へ降りると、北上川の流れのすぐそばに「下の畑」がある。後年置かれたもので実際に賢治が耕作した畑ではないが、場所柄それらしい雰囲気は感じられる。そのまま河川敷の土手の砂利道を行き、再び豊沢川を渡って市街の中心の上町商店街方面へ。豊沢町には賢治の生家跡があり、現在も居住されているため通りの向かいのポケットパークに、当時の町内図などの資料が展示されている。上町商店街には舗道の敷石やアーケードのステンドグラスに、物語や星座など賢治の作品ゆかりのデザインがなされている。
洋館の菊池邸がある大町を経て、朝日橋から再び北上川の土手上の遊歩道へと出る。道は銀河鉄道の夜をモチーフとしているようで、休憩所にプラットフォームが置かれ駅のようなしつらえになっているのが楽しい。汽車の気分で進むと、遊歩道の終点はイギリス海岸。賢治がイギリスのドーバーあたりの白亜の海岸に見えることから名がつき、泥岩層の川底が波板のように露出していたが、近年は北上川の水量が増えるなどしてほぼ見られなくなった。とはいえわずかに覗く岩礁をきらめきながら流れる瀬や、支流が流れ込むところの地層断面などに、賢治が関心を示した白亜紀的風景を偲ぶことができる。
帰りに寄った花巻城は、古くは土地の豪族の稗貫氏が治め、後に南部領となり南部利直が整備、城下町も整えた歴史がある。西御門が現存していて、その先の本丸跡には御台所前御門の先に堀跡が残るほか、櫓や武具庫の跡が見られる。菱櫓跡がある斜面の上からは北上川方面の市街を一望、賢治が育った町を見下ろすような眺めである。城跡からは旧岩手軽便鉄道の線路跡を戻り、幸橋を渡りハイカラな洋館が並ぶ大通り商店街を経て花巻駅へ。お疲れ様でした。
菩提寺の身照寺、賢治の友人にゆかりある鼬幣稲荷神社を巡って、豊沢川沿いの土手の上へ。遊歩道は「心象ロード(賢治思索の道)」との名がつけられていて、開けた河川敷をゆく空が広く感じられる気持ちのよい道だ。JRの鉄橋をくぐって豊沢橋を渡り、花巻大三叉路から県道を行くと同心屋敷・桜地人会・雨ニモマケズ詩碑・下の畑の看板の、賢治ゆかりの見どころが連続する。もと氏の住居があった森の中に立つ詩碑は、碑文に木漏れ日があたり神秘的な雰囲気。「下の畑」の看板の先の高台からは北上川の河川敷の畑が広がり、これが賢治の心象風景のように思えてしまう。
看板に従い河川敷へ降りると、北上川の流れのすぐそばに「下の畑」がある。後年置かれたもので実際に賢治が耕作した畑ではないが、場所柄それらしい雰囲気は感じられる。そのまま河川敷の土手の砂利道を行き、再び豊沢川を渡って市街の中心の上町商店街方面へ。豊沢町には賢治の生家跡があり、現在も居住されているため通りの向かいのポケットパークに、当時の町内図などの資料が展示されている。上町商店街には舗道の敷石やアーケードのステンドグラスに、物語や星座など賢治の作品ゆかりのデザインがなされている。
洋館の菊池邸がある大町を経て、朝日橋から再び北上川の土手上の遊歩道へと出る。道は銀河鉄道の夜をモチーフとしているようで、休憩所にプラットフォームが置かれ駅のようなしつらえになっているのが楽しい。汽車の気分で進むと、遊歩道の終点はイギリス海岸。賢治がイギリスのドーバーあたりの白亜の海岸に見えることから名がつき、泥岩層の川底が波板のように露出していたが、近年は北上川の水量が増えるなどしてほぼ見られなくなった。とはいえわずかに覗く岩礁をきらめきながら流れる瀬や、支流が流れ込むところの地層断面などに、賢治が関心を示した白亜紀的風景を偲ぶことができる。
帰りに寄った花巻城は、古くは土地の豪族の稗貫氏が治め、後に南部領となり南部利直が整備、城下町も整えた歴史がある。西御門が現存していて、その先の本丸跡には御台所前御門の先に堀跡が残るほか、櫓や武具庫の跡が見られる。菱櫓跡がある斜面の上からは北上川方面の市街を一望、賢治が育った町を見下ろすような眺めである。城跡からは旧岩手軽便鉄道の線路跡を戻り、幸橋を渡りハイカラな洋館が並ぶ大通り商店街を経て花巻駅へ。お疲れ様でした。
