馬籠宿から中山道経由でやってきた妻籠宿は、全国の現存する宿場町の中で最初に景観保存に取り組んだことで知られる。中山道木曽路から伊那の飯田へと分岐する追分で、二町三十間の中に本陣と脇本陣はじめ2軒の問屋と30軒あまりの旅籠が軒を連ね、今も当時の雰囲気そのままのような町並みが通り沿いに続いている。

今回は馬籠宿側から入ってきたので、町並みの南側の大駐車場からレトロモダン建築の妻籠発電所を眺め、街道の分岐に近い尾又で土地精霊神を祀るおしゃごじ様を拝んで、静かな町並みが続く寺下から宿場町へと入った。卯建に格子の立派な建物が並び、安宿だった木賃宿の上嵯峨屋の質素な建物と隣接の馬屋が、復原保存公開されている。

延命地蔵堂の先には、クランクを設けて外敵の侵入を防いだ枡形があり、入口の下嵯峨屋は江戸期の民家で、檜材の建物が当時は珍しい。桝形そばの高台にある光徳寺の前からは宿場の建物の屋根が見下ろせ、下嵯峨屋の石置き屋根が目を引く。桝形の先は本陣と奥谷郷土館になっている脇本陣が構える、宿場の中心。北側には復元された高札場、長屋だった建物の一部を保存した熊谷家、鯉の形の鯉岩などの見どころも。

宿場を結んでの峠越えのさんぽ、中山道の旅人気分にひたれたような?