豊橋は東海道吉田宿の宿場町で吉田城の城下町、ちくわのヤマサの本店とブラックサンダーの製造元である有楽製菓の工場がある、カレーうどんの町、といったところが基本情報で、歴史ありおもしろ産業ありローカルグルメありとコンテンツが多彩な町だ。

花の町を標榜しており、駅前のペデストリアンデッキをはじめ市街の随所に花が植栽されている中、鄙びたアーケードのときわ通り、松葉公園に至る緑豊かな公園通りを経て、旧東海道の国道23号に合流する。付近は吉田宿の宿場町筋で、当時の建物はないものの電線が埋設されたカラー舗道が整備され、問屋場や本陣などを示す標が沿道に。菜飯やうなぎの料亭、ういろうなどの和菓子屋が、わずかに当時の雰囲気を出している。

旧東海道の東側には、真宗大谷派の豊橋別院などが並ぶ寺町と、魚町などの町人町が広がる。寺町にはローカル商店街の花園商店街がのび、流行に左右されないファッションはいわば「豊橋のユニクロ」か。魚町にはヤマサちくわの本店が古い商家の建物で構え、駐車場のところがかつての魚河岸だったとか。付近には鮮魚卸や佃煮屋が数軒見られるほか、安海熊野社境内の魚河岸の碑が往時の様子を伝えている。

路面電車が走る国道291号を渡ると、城下の佇まいが色濃くなってくる。大手門があった通りの先、鷲の像があしらわれた塔が聳える豊橋公会堂、展望台や手筒花火資料館がある豊橋市役所は、かつての城域に建っている。豊川にかかる吉田大橋の袂にある吉田神社は手筒花火発祥の地で、祭礼の祇園祭に奉納した花火に起源がある。境内には花火の筒を抱えた男衆を描いた碑が立ち、絵馬の絵柄も手筒花火。

吉田城は初代城主が牧野氏で、初代姫路藩主の池田輝政や徳川四天王の一人の酒井忠次も城主を務めている。御殿があった二の丸などほぼ園地しか残っていないが、豊川に面した斜面の上に復元した鉄櫓、その基礎部分の池田期の石垣や防御のための腰廓が、わずかに面影を残している。朝ドラ「エール」のロケ地にもなっていて(豊橋市歌は古関裕而作曲)、花を配したモニュメントもあった。

公園前から乗った豊橋鉄道の路面電車は、なんとブラサンのラッピング電車。途中の電停ではオレンジ色のヤマサ電車も見かけ、ご当地企業らしさが分かりやすい仕様が楽しい。終点の赤岩口で車庫を眺めて引き返し、かつての水路跡に建てられた蛇行するビル群「水上ビル」の、花火や駄菓子問屋と飲食店を見ながら歩き、豊橋駅にてお疲れ様でした。