追手門広場の先は弘前城の城郭が広がっていて、外濠を渡り向かいの追手門から三の丸へと入っていく。1611(慶長16)年に津軽藩二代藩主の津軽信枚が創建、6つの廓と三重の堀と土塁からなり、天守を始め櫓や城門が現存している。三の丸の弘前城植物園沿いに歩き、中濠に突き当たると赤い欄干の杉の大橋が見える。左手に未申櫓を見て渡り、二の丸南門の枡形を抜けて二の丸へと入っていく。

右手には大しだれ桜の大木、内濠沿いにはソメイヨシノなど桜の古木が続いている。内濠に架かる下乗橋は本丸方面へつながり、藩士はここで下馬する決まりだった。橋を渡り、武者溜御門の跡の先からが有料エリア。アイグロマツとシダレザクラの古木が左右に立つ枡形を抜けると、曳家で移設された天守が見えてくる。

天守はもとは本丸の南西隅に建てられていたが、落雷で焼失した後に南東隅へ再建された。櫓の名目で建てられたため、外側の内濠に向いた側は破風などが作り込まれている一方、本丸側は比較的質素である。東北地方唯一の現存天守で、現在は石垣を修復するため天守が移設され、木造の展望台の上からや本丸の目の高さで、そうした造作が見られる。中に入ることもでき、三層目の展望台からは間近に城郭や桜並木、遠く市街や岩木山・鳥海山方面が見通せる。

本丸からはつづらに下り鷹岡橋で睡蓮が群生する内濠を渡り、北廓へ。有料エリアを出たら中濠を渡って賀田橋を渡り、三の丸の賀田門後を抜け広場や護国神社のある四の丸へ出る。城郭の北側の入口の北門は搦手だが、築城時は大手として作られていたため、他の門より規模が大きい。