たてつ家を後に通りをさらに直進、時計塔の先を渡ると表町・東勝楽丁の武家屋敷通りへと入っていく。11mの幅広の通りに沿って6軒の武家屋敷が並び、黒板塀と枝垂れ桜の並木が続く落ち着いた景観を作り出している。入口に近い小田野家は、先程の解体新書の解剖図の小田野直武が出た家。明治33年の大火の後で再建、主屋の間取りは近世の武家住宅の間取りが簡略化された、中級武士の屋敷造りとなっている。敷地内に、ドウダンツツジと熊笹が茂るのも特徴である。塀越しに建物が見える河原田家は、源頼朝の時代に南会津を拝領、後に芦名氏、佐竹北氏に仕えた中級武士。藩政時代の建築を踏襲していて、書院造り風の座敷、土縁などが敷地に点在するのは青柳家とほぼ同じ造りである。赤松が植えられ苔を配した庭も、武家屋敷らしい格式がある。
やや先の伝建群管理事務所で武家屋敷の全体模型を見て、塀越しに樹齢300年を越えるカシワの大木を見ながら岩橋家へ。会津の芦名家に仕え佐竹北家の組下となり、邸宅は中級武士の家の様式をとどめている。建物は切妻造、屋根は木羽葺きだかかつては萱葺き屋根だった。この先、赤い丸ポストの先が枡形になっていて、武家屋敷通りはさらに続く。伝統工芸の樺細工の資料の展示室や製作実演が見られる、角館樺細工伝承館の先には青柳家が構える。明治期は地主だったため、広大な敷地に多数の建物が並んでいる。
のぞき窓のついた黒塗りのささら子塀から薬医門をくぐり、寄棟萱葺屋根鍵屋の母屋から内部へ。内部は角館の武家屋敷の中でも豪華で、座敷には京都の龍野満黄の屏風画が飾られている。角館春慶塗が置かれた台所を見て、甲府で武器作りをしていた頃の具足や刀、火縄銃などの武器や武具を置いた武器蔵へ。刀と片刃槍を持ってみることができる、刀実触体験が面白い。外へ出ると小田野直武像や解体新書の誌面を展示した記念館、秋田郷土館、昔の歌舞伎の本や雛人形などの押絵を展示した武家道具館、青柳家の邸内社など見学施設も多く、池が配された庭園を歩きながら巡れる。
先の石黒家は佐竹北家の用人を勤めた家で、二つの玄関を持つことが上級武士の格式高い屋敷なのを伝える。主屋は萱葺き、庭には水に見立てた苔に築山と巨石が配され、簡素ながら武家の格式が感じられる。現在もこの武家屋敷には、子孫が暮らしているという。旧石黒(恵)家はその分家で、昭和10年に設計・建築。和風住宅に洋風を加味した西洋間があり、各々の部屋が独立して廊下で繋がるなど、昭和期の近代住宅なのが他の屋敷にない特徴である。
やや先の伝建群管理事務所で武家屋敷の全体模型を見て、塀越しに樹齢300年を越えるカシワの大木を見ながら岩橋家へ。会津の芦名家に仕え佐竹北家の組下となり、邸宅は中級武士の家の様式をとどめている。建物は切妻造、屋根は木羽葺きだかかつては萱葺き屋根だった。この先、赤い丸ポストの先が枡形になっていて、武家屋敷通りはさらに続く。伝統工芸の樺細工の資料の展示室や製作実演が見られる、角館樺細工伝承館の先には青柳家が構える。明治期は地主だったため、広大な敷地に多数の建物が並んでいる。
のぞき窓のついた黒塗りのささら子塀から薬医門をくぐり、寄棟萱葺屋根鍵屋の母屋から内部へ。内部は角館の武家屋敷の中でも豪華で、座敷には京都の龍野満黄の屏風画が飾られている。角館春慶塗が置かれた台所を見て、甲府で武器作りをしていた頃の具足や刀、火縄銃などの武器や武具を置いた武器蔵へ。刀と片刃槍を持ってみることができる、刀実触体験が面白い。外へ出ると小田野直武像や解体新書の誌面を展示した記念館、秋田郷土館、昔の歌舞伎の本や雛人形などの押絵を展示した武家道具館、青柳家の邸内社など見学施設も多く、池が配された庭園を歩きながら巡れる。
先の石黒家は佐竹北家の用人を勤めた家で、二つの玄関を持つことが上級武士の格式高い屋敷なのを伝える。主屋は萱葺き、庭には水に見立てた苔に築山と巨石が配され、簡素ながら武家の格式が感じられる。現在もこの武家屋敷には、子孫が暮らしているという。旧石黒(恵)家はその分家で、昭和10年に設計・建築。和風住宅に洋風を加味した西洋間があり、各々の部屋が独立して廊下で繋がるなど、昭和期の近代住宅なのが他の屋敷にない特徴である。
