北東北めぐりのスタートは、秋田の角館から。江戸期に佐竹北家の城下町として栄え、角館伝統的建造物群保存地区には多くの武家屋敷が建ち並んでいる。「みちのくの小京都」との別名もある、武家屋敷通りのてくてくさんぽに出かけてみましょう。
起点の角館駅は秋田新幹線でアクセスでき、ホームからの階段には枝垂れ桜の夜桜、跨線橋には桜に新緑に紅葉に雪景色の、四季折々の武家屋敷風景のポスターが迎えてくれる。駅舎も白壁の武家屋敷風で、同じような外観のホテルのフォルクローロ角館や、土蔵造りの観光情報センターの角館駅前蔵なども並んでいる。武家屋敷街は駅から徒歩10分ほど離れていて、駅通りの沿道には地元向けの商店が並ぶローカルな風情だ。眺めながら歩くとゲストハウスに種苗店、居酒屋や喫茶、銘菓なると餅などの菓子店など。一般の建物でも景観計画がされていて、秋田魁新報の支局も格子に瓦の外観になっている。
松庵寺を過ぎたところで、秋田藩主佐竹氏直臣の家臣団「今宮武士団」が住んでいた田町武家屋敷の通りへ出る。右に折れてすぐの新潮社記念文学館は、新潮社を創設した佐藤義亮の顕彰を目的に設けられた施設。入口には医学者であり小説家の加賀乙彦や前衛小説の後藤明生らの、直筆の色紙を模したタイルが貼られ、新潮文庫の川端康成「雪国」の扉と冒頭の一節を記したモニュメントもあり、文学館らしいしつらえが見られる。一角の解体新書の碑は、人体解剖図を描いた当地出身の武士であり画家の、小田野直武に所以がある。
新潮社記念文学館の先には黒板塀と枝垂れ桜の並木が続く、角館の武家屋敷らしい風景。向かいの西宮家は今宮武士団の生え抜きの、西宮織部を祖とする家で、明治後期から大正期にかけて建てられた5棟の蔵と母屋が現存している。蔵のうち前蔵は交流スペースに、北蔵はレストラン、最大の米蔵は物販施設となっている。武士蔵とガッコ蔵は武家屋敷の蔵を活用した宿泊施設「和のえ角館」にも利用されている。田町武家屋敷を先へ行くと、塀や門を武家屋敷風にした一般の邸宅、蔵づくりの宿の田町武家屋敷ホテル、木造の洋風工場建築の旧角館製糸工場、地主宅で内蔵を備えた太田家などが並んでいる。
起点の角館駅は秋田新幹線でアクセスでき、ホームからの階段には枝垂れ桜の夜桜、跨線橋には桜に新緑に紅葉に雪景色の、四季折々の武家屋敷風景のポスターが迎えてくれる。駅舎も白壁の武家屋敷風で、同じような外観のホテルのフォルクローロ角館や、土蔵造りの観光情報センターの角館駅前蔵なども並んでいる。武家屋敷街は駅から徒歩10分ほど離れていて、駅通りの沿道には地元向けの商店が並ぶローカルな風情だ。眺めながら歩くとゲストハウスに種苗店、居酒屋や喫茶、銘菓なると餅などの菓子店など。一般の建物でも景観計画がされていて、秋田魁新報の支局も格子に瓦の外観になっている。
松庵寺を過ぎたところで、秋田藩主佐竹氏直臣の家臣団「今宮武士団」が住んでいた田町武家屋敷の通りへ出る。右に折れてすぐの新潮社記念文学館は、新潮社を創設した佐藤義亮の顕彰を目的に設けられた施設。入口には医学者であり小説家の加賀乙彦や前衛小説の後藤明生らの、直筆の色紙を模したタイルが貼られ、新潮文庫の川端康成「雪国」の扉と冒頭の一節を記したモニュメントもあり、文学館らしいしつらえが見られる。一角の解体新書の碑は、人体解剖図を描いた当地出身の武士であり画家の、小田野直武に所以がある。
新潮社記念文学館の先には黒板塀と枝垂れ桜の並木が続く、角館の武家屋敷らしい風景。向かいの西宮家は今宮武士団の生え抜きの、西宮織部を祖とする家で、明治後期から大正期にかけて建てられた5棟の蔵と母屋が現存している。蔵のうち前蔵は交流スペースに、北蔵はレストラン、最大の米蔵は物販施設となっている。武士蔵とガッコ蔵は武家屋敷の蔵を活用した宿泊施設「和のえ角館」にも利用されている。田町武家屋敷を先へ行くと、塀や門を武家屋敷風にした一般の邸宅、蔵づくりの宿の田町武家屋敷ホテル、木造の洋風工場建築の旧角館製糸工場、地主宅で内蔵を備えた太田家などが並んでいる。
