唐津城は、豊臣秀吉の家臣で初代藩主の寺沢志摩守広高が、1602(慶長7)年から7年がかりで完成させた平山城。満島山とよばれる陸続きの島にあり、三方を海と川に囲まれた守りに固い城だった。山裾の売店街を過ぎ、正面登り口からのびる石段を、ほぼ真っ直ぐ登る。中段まで176段、上段まで231段あり、石垣を左に見て登り総締門跡の桝形虎口を左に折れ、枝張り35mの藤棚をくぐると中段広場へ。天守台の石垣と天守が、真上にそびえている。さらに石段を登り櫓門をくぐると、天守閣の入口がある海抜43mの上段広場へと到着する。

唐津城築城当初は天守閣はなく、現在の天守は昭和41年に文化観光施設として、想像から建設した模擬天守である。内部は郷土博物館と高さ地上約70mの展望台で、西は西ノ浜から大島、北は玄界灘越しに鳥島や高島の島々、東は松浦川河口に架かる舞鶴橋越しに東ノ浜と虹の松原、南は町田川から唐津市街と360度の風景を見下ろせる。虹の松原は初代唐津藩主寺沢広高が防風と防潮のためにクロマツを植林したのがはじまりで、長さ約4.5km、幅約0.5kmにわたり約100万本のクロマツが群生。日本三大松原にも数えられる景勝だ。この天守を要に、左右に広がる松原が鶴が翼を広げた形に似ていることから、別名「舞鶴城」とも。

帰りは化粧櫓そばの西門から西門口階段を中段広場まで下り、そこから来た道を下っていく。城内橋は町田川と松浦川の合流点に架けられ、石積みと石貼りと木材で城下らしい雰囲気を出している。たもとには船入門公園が整備、当時は船入門が設けられていて、参勤交代時や御蔵への納入品を搬入するのに使われていた。橋の途中から二つの川の合流点を見て、対岸から木の橋と天守閣の眺めを見ながら、町田川沿いの「河畔の道」で唐津駅へと向かう。町田川の河岸には石垣が見られ、小舟が係留されていたり川へ降りられる雁木風の石段も。擬宝珠がついた木橋風の千代田橋の先では、ニノ門堀との合流点も見られる。

同じく擬宝珠に木橋風の欄干の中央橋の先には、復元された三之丸辰巳櫓が。三之丸の東南隅で見張りや防御に使われた櫓で、橋の上からは二連の木橋の千鳥橋が見られる。右岸側が大鯛の曳山の魚町にあたる。直進すると先程の旧唐津銀行本店で、呉服町商店街から唐津駅へ。唐津城からは15分ほどの道のりである。