唐津神社周辺の市街には生垣や土塀がめぐる広い屋敷地が数多く残り、かつての武家屋敷地の風情を色濃く残す。西城内の大志小学校は、周囲の壁が瓦塀を模している。北城内は三之丸の北西端で、バス停のところには藩士の出入りや藩主の交代などで使われた西ノ門跡が。それに続いて石垣の基礎が発見され、合わせて再現した石垣が見られる。この先の北坊主町交差点を海側に出たところが、西ノ浜。2㎞に渡り広がる浜には松原が続き、正面に鳥島と、宝くじ祈願で有名になった宝当神社がある高島、右には唐津城と虹の松原、左には大島方面のパノラマが広がる。城を見ながら泳げる砂浜の海水浴場は、全国でも珍しい。

西ノ浜からやや戻ったところからは、先程の西ノ門跡から続く石垣に沿った小道が続いている。石垣は唐津城から西に2㎞ほど続く、藩政時代に防御のために作られたもので、唐津城東城内から二の門堀を通り、旧高取邸の前を通り北城内を一直線で結んでいる。沿道は石垣の散歩道と名付けられ、苔むした石垣沿いの道は風情がある。昭和幼稚園のところでいったん大通りへ戻り、出土文化財管理センターの西ノ門館へ。唐津市内から出土された江戸時代の唐津焼などを展示しており、ほかにも鯛の棟瓦や祭礼に使われた獅子頭、出土物から大名の食事に鯛が多かったことなどを推測する展示も見られる。若手作家を中心とした唐津焼の展示即売コーナーもあり、小杉窯など唐津焼窯元約20軒の作品も扱っている。

西ノ門館の向かいの南城内児童公園入口にある旧藩校中門を見てから、唐津の近代化に尽力した大島小太郎の旧宅の旧大島邸、白壁の築地塀を施した武家屋敷風の貸しスペースの埋門ノ館、青木繁の作品を所蔵する河村美術館を通り、石垣の散歩道へと戻る。埋門跡は石垣から唐津湾側に開いていた門で、ここから南へ通る埋門小路は唐津神社や外廓の内町方面へと続く通りだった。散歩道の途中の高取家は杵島炭鉱などの炭鉱主として知られる、高取伊好の自宅兼迎賓館。海岸沿いの約2300坪の敷地に2棟の建物が建ち、能舞台や欄間、杉板戸の絵などの装飾が素晴らしい。

高取邸の先で石垣の散歩道は終わり、藩庁があった二之丸を隔てて、かつて松浦川の川筋だった二ノ門堀が町田川と繋がっている。堀端には邸宅の木々や水面に映る石垣など、往時の風情を色濃く残す。二の門交差点には、正時に鐘楼に裃人形が現れ太鼓を叩き時刻を知らせる「時の太鼓」が。橋を渡ったところの東城内はかつての二之丸で、正面に唐津城の天守が次第に近づいてくる。その手前には唐津城の麓の耐恒寮の跡地に建つ、早稲田佐賀中高の校舎も見える。唐津くんちの曳山のタイル画が施された地下道を渡ると、唐津城天守の麓へと出る。