博多駅ビルのJR博多シティの直径6mの大時計に見送られスタート。駅前広場には福岡マラソン歴代優勝者の足形があり、瀬古選手や新宅選手やイカンガー選手のものも見られる。ネーミングライツのとみよ博多駅歩行者連絡橋を渡った先の博多エリアは「博多旧市街プロジェクト」が展開され、中世日本の最大貿易港湾都市だった博多の歴史や伝統、文化を伝えている。フラッグを見て通りを進み、車道を小川歩道を川岸の遊歩道に見立てた造り承天寺通りの突き当たりには、博多の寺社エリアの入口になる博多千年門が構える。

門はかつての辻堂口門にならった木造の四脚門様式で、くぐった先は都市の眺めと一転、承天寺の黄土塀が続く静かなエリアになる。承天寺は臨済宗の禅寺で、開山の聖一国師が伝えたとされる饂飩蕎麦発祥之地の碑、御饅頭処の碑ほか、博多山笠発祥之地の碑も。櫛田神社を中心に行われている福岡市を代表する祭りだが、起源は博多に疫病が流行した時、聖一国師が乗った施餓鬼棚を棒で担がせて祈祷して廻り、病魔を退散させたことに由来するとの説がある。

通りに戻り、突き当たりを辻の堂通りに出て御供所町の交差点を折れ、石畳の御供所通りへ。あたりの御供所町は古くから寺社が集中していた地域である。緑地が多く残り、豊臣秀吉が整備した「太閤町割」の名残や昔からの町屋も点在。沿道はかつてはほとんどが聖福寺の敷地で、境内ほか塔頭の寺や寺内町も形成されていた。妙楽寺の門の先に続く土塀の道など名残をとどめる路地も多数錯綜し、ちょっとした小京都風情が感じられるのがいい。

瓦付きの土壁が長く添い始め、中ほどに菊の紋があしらわれた小さな門があり、石柱の寺名には「聖福寺」とあった。創建は1195年、源頼朝の時代に栄西禅師が創建した、日本最古の禅寺である。表通りの大博通りへ出ると、福岡大仏の東長寺の広大な伽藍も広がっている。