再び坪井川を厩橋で渡り電車通りを先へ行くと、熊本屈指の繁華街の上通・下通へと出る。江戸期の古町・新町に変わり現在の商業の中心地で、新市街から南坪井町まで続くアーケード街。かつては武家屋敷だった地区のため、アーケードの大通にかつての町割の細い道が組み合わされている。通町筋の電停から、まずは北側の上通へ。明るいアーチの屋根は、パリのオルセー美術館をイメージしているとか。モダンアートの企画展などを行う熊本県現代美術館が入口に構え、地元向けの日用品の店舗の中に手作り餡の蜂楽饅頭、昔の店舗写真が店頭に見られる長崎書店など、ご当地らしい店も見られる。旧五高や工専の学生で賑わっていた名残からか、今も書店や文具店、画廊などが多い。
アーケードの先は並木坂で、藤崎宮前駅方面に続いている。途中を歩小路へ折れてやや先を電車通り方向へ戻る道が、上之裏通り。民家や商店の建物をリノベした、趣きある店や隠れ家的な飲食店が建ち並ぶ、しゃれた通りである。酒場にバー、そば屋、ブティック、ファッションにアジア雑貨など、店頭を眺めながら歩くのが楽しい通りだ。桜井通りを曲がった先、繁華街の中にある鎮守の森は、学問の神様の手取天満宮。祭神は菅原道真で、境内には紅白の梅の木が大宰府天満宮より贈られている。表参道通りを抜けて鳥居をくぐり、隣接するカトリック手取教会も参拝。
電車通りを挟み、鶴屋百貨店の隣のやや幅狭のアーケード駕町通りへ。藩主とその一門の御駕籠衆の居住地が名の所以で、やや進んだ蓮政寺公園の一角には、小泉八雲の熊本旧居がある。八雲は熊本大学の前身である第五高等中学校の英語教師として、島根の松江から赴任。明治27年10月までの3年間を熊本で暮らし、ここは最初の家である。引き返して下通のアーケードへ、県内一の繁華街で通り沿いに、飲食店を中心に店舗が軒を連ねている。幅15mと広く、かまぼこ型の屋根からは太陽光が差し込み並木も設けられている。
途中、レンガ舗道の並木路の三年坂、その名通りのクラブ通りに酒場通り、西銀座通りなどの酒場がある細い小路が交差。新市街のアーケードへ直角に曲がるところから先には、並木道のシャワー通りが続いている。新市街のアーケードも幅が広いままで、辛島町電停のところで商店街散歩は終了。
アーケードの先は並木坂で、藤崎宮前駅方面に続いている。途中を歩小路へ折れてやや先を電車通り方向へ戻る道が、上之裏通り。民家や商店の建物をリノベした、趣きある店や隠れ家的な飲食店が建ち並ぶ、しゃれた通りである。酒場にバー、そば屋、ブティック、ファッションにアジア雑貨など、店頭を眺めながら歩くのが楽しい通りだ。桜井通りを曲がった先、繁華街の中にある鎮守の森は、学問の神様の手取天満宮。祭神は菅原道真で、境内には紅白の梅の木が大宰府天満宮より贈られている。表参道通りを抜けて鳥居をくぐり、隣接するカトリック手取教会も参拝。
電車通りを挟み、鶴屋百貨店の隣のやや幅狭のアーケード駕町通りへ。藩主とその一門の御駕籠衆の居住地が名の所以で、やや進んだ蓮政寺公園の一角には、小泉八雲の熊本旧居がある。八雲は熊本大学の前身である第五高等中学校の英語教師として、島根の松江から赴任。明治27年10月までの3年間を熊本で暮らし、ここは最初の家である。引き返して下通のアーケードへ、県内一の繁華街で通り沿いに、飲食店を中心に店舗が軒を連ねている。幅15mと広く、かまぼこ型の屋根からは太陽光が差し込み並木も設けられている。
途中、レンガ舗道の並木路の三年坂、その名通りのクラブ通りに酒場通り、西銀座通りなどの酒場がある細い小路が交差。新市街のアーケードへ直角に曲がるところから先には、並木道のシャワー通りが続いている。新市街のアーケードも幅が広いままで、辛島町電停のところで商店街散歩は終了。
