辛島町からはかつての交通センターがリニューアルした、サクラマチクマモトの前のシンボルプロムナードをゆく。テラスに迫り出すような空中庭園が設けられた、緑あふれる商業施設だ。突き当たりは熊本城の城内へと入る行幸坂で、堀でもあった坪井川の手前には加藤清正公の像が、甲冑と長烏帽子姿で陣中に座るような姿で構えている。御幸橋を渡り行幸坂を登ると本丸だが、桜の馬場にある商業施設と観光案内所と熊本城ミュージアムがある「城彩館」を抜け、奉行丸の未申櫓を見上げて二の丸広場へ向かう。熊本地震の被害はまだ残っており、奉行丸の石垣が崩れた箇所も残っている。

二の丸広場から本丸へ向かう途中、戌亥櫓方面の石垣も崩れ、奉行丸側の西大手門と元太鼓櫓も修復中。現在はこの先平左衛門丸、数寄屋丸、本丸へは入れず、頬当御門の坂の先に天守を眺めたら西出丸の石垣沿いに歩き、戌亥櫓を間近に見て加藤神社へ。鳥居の手前からは宇土櫓、鳥居の先には堀際に展望所があり、北側から連立天守を間近に臨める。大天守は地上6階地下1階、小天守は地上4階地下1階。白漆喰と黒い下見板張りのコントラストが力強く、大天守最上階の唐破風と下層階の千鳥破風のバランスも美しい。

現在はこの神社が、天守を一番そばから見られる場所。加藤神社は加藤清正を主神とし、境内には文禄・慶長の役記念の太鼓橋、旗立石、白髭神社には清正公御手植えの大銀杏などが残されている。散策後は城内北側の棒椿坂を下り、天守の石垣を見上げながら「熊本のお伊勢さん」と呼ばれる熊本大神宮を経て、熊本城稲荷神社へ。加藤清正公が肥後の国主として入国するにあたり勧請した神社で、安産祈願の辰巳大明神に子育て地蔵尊、末社には学業芸能上達、火伏せ、金運勝負運、商売繁盛、良縁などの神様がずらり。通りの向かいの高橋公園には、西南戦争で薩摩軍を退けた熊本鎮台司令長官の谷干城と、横井小楠と維新群像の像が立っている。