古町の新明八橋で坪井川を渡ると、新町地区へと入っていく。熊本城の正面にあたり、5つの城門に囲まれた城内町である。武家屋敷と町人町が混在しており、南北に長い東西入りで間口が狭い短冊形の町割が特徴。大正末に城下町の町割りを縫うように敷設され、辛島町方面からの路線が中央を走っている。新町電停向かいには黒漆喰の八百垣、その隣の長崎次郎書店は大正13年築の和洋折衷の建物。通り沿いの白壁は吉田松花堂の広い敷地で、毒消丸で有名な薬屋。コレラの大流行時に効能を示した薬で、門のそばの瓦屋根に「免許諸毒消丸」との看板が掲げられている。

ひと筋西側はかつての中職人町は、藩の常備品を製作する職人が集まったエリア。西南戦争後は菓子製造のエリアとなり、沿道には菓子問屋が集まる。左へ入ると新町問屋街のレトロな商店街で、「むろや」江戸期から続く老舗で当時は醸造業を商っていた。現在は玩具問屋として縁日玩具や駄菓子を扱っていて、沿道の幟や提灯が華やかだ。新町電停からは小島新町線を線路に沿い進み、隣接する町屋を改装したフレンチの「クラシク」、蔦のからまる福田医院の壁面を見て、洗場橋電停へ。

先の坪井川には船場橋が架かり、橋の先の船場町へと続いている。この地に坪井川の船着場があったことから「船場」と呼ばれ、一方で川で馬を洗うこともあったために「洗馬」とも表記されるという。橋は童謡「あんたがたどこさ」ゆかりで、童謡の船場山はかつて右岸にあった小高い丘。電停には腹をなでると開運のふれあい親子ダヌキ、文林堂本店の入口に白いタヌキ、熊本中央郵便局前にもタヌキポストが。橋は童謡にちなみタヌキとエビのオブジェが配され、中央にはまりをつく女の子のレリーフも見られる。