熊本さんぽは、九州新幹線の熊本駅から。コンコースでは大きなくまモンの頭と、西口にはおてもやんの像が出迎えてくる。熊本の物産を集めた肥後ふるさと市場を見て、駅ビルのアミュプラザを通り、市電で街の中心へと向かう。祇園橋で白川沿いに近づいたら、その次の呉服町電停で下車。坪井川の南の古町と、北の新町地区の玄関口である。

あたりは加藤清正が熊本城の築城とともに造った城下町で、江戸時代〜明治期には坪井川の水運で栄えた商業地区だった。大正時代には市電が開通、人と物流拠点としてさらに賑わいを増した。通り沿いには職住一体型の町屋が建ち並び、今も往時の面影を残している。まずは坪井川の南の、古町へ。防御のため碁盤目状の町割の中心に寺を配置した、一町一寺の町割で、坪井川沿いに荷揚げ場を所有する問屋街が軒を連ねていたという。呉服町、米屋町、紺屋町、唐人町、船場町など、昔の町名も健在だ。

電停から魚屋町にある三井住友銀行熊本支店を過ぎ、明治10年に日本橋や通潤橋を手掛けた熊本の名石工、橋本勘五郎が手がけた明十橋を渡る。右に折れて万歳橋の上からは、創業者の冨重利平が上野彦馬に写真技術を学び熊本で初めて開いた写真館、冨重写真館のレトロな建物が見える。明十橋を渡り戻ったところは、旧薩摩街道沿いの唐人町。卸問屋街として賑わったエリアで、歴史的建造物が多数建ち並んでいる。橋のたもとの煉瓦造りの堂々とした洋館は、大正8年築の旧第一銀行。熊本市内最初の鉄筋コンクリート造りの建物で、連続するアーチ窓と、石とレンガで仕上げられた外観で当時目を引いていた。

その隣の右側には町家をリノベーションした店舗が並び、屋根の高さに段があり、黒漆喰に格子に古い瓦が歴史を感じさせる。両替商を改装したフレンチレストラン「塩胡椒」、ナチュラル&ハーモニック「ピュアリィ」と並ぶ町家は、ともに築140年あまりの古民家。坪井川に面しピュアリィの川側にはかつて船着場もあり、建物は通りから見ると2階建、坪井川から見ると3階建に見える。先には創業100年あまりの履物の老舗の武蔵屋、理髪店のバーバー大洋の町家も。ここでは店頭のディスプレイの品をQRでその場で買える、「マドカイ」も実施されている。

西村邸は大正6年築の油商で、家の形に添って長いレンガの防火壁が設けられている。向かいの清永本店はもと荒物屋で、明治11年築の商家を再建。木造2階建てで、太いセンダンや杉がはりに使われている。珈琲回廊は明治期に建てられた木造2階建て、荒物屋や削り節の店を、カフェとギャラリーに再生。その横を入ると明十橋と同じ橋本勘五郎により、明治8年に架設された明八橋。たもとには城下町の湧水が沸き、橋からは坪井川沿いのかつての卸問屋街の街並みが想像できる。隣の新明八橋には、当時の賑わいを記したレリーフも。