再び天文館通りに戻り、アーケードの延長のテンパーク通りから、中央公園に沿って照国通りを行く。もと県立図書館だった、鉄筋コンクリート造3階建塔屋付建築の鹿児島県立博物館を過ぎたら、洋館ベースで和のテイストも加えた石造建築の旧県立博物館考古資料館と、重厚な洋館建築が続く。昭和4年築の高さ19.8mの大鳥居をくぐり照国神社へ。社殿前には斉彬公が植栽したイヌマキを剪定した、「斉鶴」が出迎えてくれる。

照国神社の祭神は島津家28代当主斉彬で、社殿は南泉院跡に社殿が建てられている。明治10年の西南戦争で焼失後、明治15年に復興されている。社殿は戦災で焼けたのちの鉄筋コンクリート造り。背後には緑の城山が構え、本殿の右には島津久光公、島津忠義公の像も。賽銭箱や行燈など、随所に丸に十字の島津家の家紋が見られ、祭神としての威光が感じられる。

神社の背後の城山は市街地の中心部に位置する、標高107mの小高い山。1601(慶長7)年に島津家18代家久が築いた平山城の鹿児島城、通称鶴丸城があった。鶴が翼を広げた形が名の由来で、城山には本丸廓と二の丸曲輪を配置。居館があった南側の山麓が政治的な役割を担ったのに対し、城山は軍事的機能を備えていたが「城をもって守りと成さず、人をもって城と成す」という薩摩藩流の思想から、天守閣はなく質素な建物が並んでいたという。

照国神社の西側を登り、かつての大手口から遊歩道へ。九十九折れの急な石段が続くかなりきつい登りで、車道から登ってくる広場「ドン広場」に合流するとホッとする。広場の奥で城山遊歩道と合流して、やや登った高台に城山展望台が設けられている。展望は南南西から東にかけて開け、鹿児島市街と錦江湾越しに鎮座する、桜島の姿が素晴らしい。鹿児島はまさに、火山に面した都市なことを実感できる眺めである。