大和郡山からの帰り、前回悪天候と疲れで寄れなかった安土に途中下車して、城を中心に撮影して歩いた。駅からかつての朝鮮人街道の彦根道へ入り、絵馬殿が立派な八幡神社、神学校のセミナリヨ跡、田んぼの中を城山を見上げて山裾まで行き、安土城を城攻めして百々橋を渡り番屋があった安土ノ辻から、来た道を駅まで引き返すルート。前回の訪問時とほぼ同じ行程で、安土城は大階段の大手道から天主台まで大汗かいて登った。前田利家邸や羽柴秀吉邸、織田信忠邸、森蘭丸邸跡を見て、天守台では建物の礎石を観察、摠見寺跡から望む西の湖方面の眺めは相変わらずの素晴らしさだった。
安土の辻から駅に行く途中、今回寄った新宮大社は見どころが多く、珍しい土間形式の拝殿を備え屋根が葭葺なのが水郷の社らしい。信長が好んだ、太い竹を捻り合う「竹相撲」ゆかりの社でもあり、地元出身の画家が描いた「信長参拝絵巻」の相撲の様子が、絵馬にされ飾られている。一説にはこれが大相撲の発祥といわれ、この時勝負がつかず、信長が褒美としてそれぞれの力士に東・西の苗字を与えたことが、相撲が東西に分かれて取られる所以とも。神社の近くにはこの勝負に力士を出した、古くからの豪族で庄屋も務めた東家の住宅も残っている。
安土の辻から駅に行く途中、今回寄った新宮大社は見どころが多く、珍しい土間形式の拝殿を備え屋根が葭葺なのが水郷の社らしい。信長が好んだ、太い竹を捻り合う「竹相撲」ゆかりの社でもあり、地元出身の画家が描いた「信長参拝絵巻」の相撲の様子が、絵馬にされ飾られている。一説にはこれが大相撲の発祥といわれ、この時勝負がつかず、信長が褒美としてそれぞれの力士に東・西の苗字を与えたことが、相撲が東西に分かれて取られる所以とも。神社の近くにはこの勝負に力士を出した、古くからの豪族で庄屋も務めた東家の住宅も残っている。
