大和郡山は「箱本」という自治組織が13の町により形成。特権を記した書を納めた朱印箱を月ごとに持ち回り、当たり月の町が「箱本」として治安・消化・伝馬を中心に、持ち回りで自治を行なっていた。これらの町は「箱本十三町」と呼ばれ、市街には当時の町名の石碑が見られそれぞれの町の特性が紹介されている。先ほどの金魚商店街の柳町もその一つで、蘭町通りから入った紺屋町は名の通り藍染商人の町。郡山城の堀から流れる掘割水路の紺屋川沿いの道に面して、かつては染め物屋が10軒ほど集まっていて、現在も当時の建物が建ち並んでいる。
箱本館紺屋は享保時代創業の染物屋・奥野家の建物を利用した展示施設で、金魚と藍染にまつわる展示が興味深い。入口には行燈を模した金魚水槽が出迎え、中は地中に埋めた藍壺置き場の土間と高い天井、右手には店の間が広がる。座敷の間には金魚にまつわる美術骨董品が並び、金魚柄の帯に屏風、金魚を染め抜いた藍染暖簾、内側に金魚が泳ぐ柄をあしらった大甕、さらに掛け軸に皿に扇子などの小物とあふれんばかり。中の間の藍染に関する展示には濃淡の染め方が。染めた布は、建物の前を流れる紺屋川で洗っていたそうだ。土間には金魚が泳ぐ水槽の背景に、藍染布を配したコラボアートも。
紺屋町からは紺屋川沿いをJR郡山駅方面へ、箱本十三町のひとつだった材木町の小路を抜けて、かつて郡山城の外堀だった水濠を復元した外堀緑地を歩く。白壁と石積護岸が続き、松並木沿に歩くと壁越しに土蔵などの建物も覗く。道なりに折れると復元された北門に抜けるが、直進して天満宮を西へ。あたりは箱本十三町の本町で、中村酒造や吉岡邸など、白壁やうだつや虫籠窓や厨子二階の商家が並ぶ小路を歩く。蘭町通りを渡った角の火の見櫓は、延宝8年の大火で市街が焼けた先に設けられたもので、防火の見張りも箱本の重要な役割だった。向かいには大正初期築のハーフティンバー様式の、杉山小児科医院の洋館が異彩を放つ。
箱本館紺屋は享保時代創業の染物屋・奥野家の建物を利用した展示施設で、金魚と藍染にまつわる展示が興味深い。入口には行燈を模した金魚水槽が出迎え、中は地中に埋めた藍壺置き場の土間と高い天井、右手には店の間が広がる。座敷の間には金魚にまつわる美術骨董品が並び、金魚柄の帯に屏風、金魚を染め抜いた藍染暖簾、内側に金魚が泳ぐ柄をあしらった大甕、さらに掛け軸に皿に扇子などの小物とあふれんばかり。中の間の藍染に関する展示には濃淡の染め方が。染めた布は、建物の前を流れる紺屋川で洗っていたそうだ。土間には金魚が泳ぐ水槽の背景に、藍染布を配したコラボアートも。
紺屋町からは紺屋川沿いをJR郡山駅方面へ、箱本十三町のひとつだった材木町の小路を抜けて、かつて郡山城の外堀だった水濠を復元した外堀緑地を歩く。白壁と石積護岸が続き、松並木沿に歩くと壁越しに土蔵などの建物も覗く。道なりに折れると復元された北門に抜けるが、直進して天満宮を西へ。あたりは箱本十三町の本町で、中村酒造や吉岡邸など、白壁やうだつや虫籠窓や厨子二階の商家が並ぶ小路を歩く。蘭町通りを渡った角の火の見櫓は、延宝8年の大火で市街が焼けた先に設けられたもので、防火の見張りも箱本の重要な役割だった。向かいには大正初期築のハーフティンバー様式の、杉山小児科医院の洋館が異彩を放つ。
