御用邸からは大谷川へと一気に下り、川沿いの渓流さんぽへ。アユの解禁が間もないため、河原は釣り人で埋まるほどの賑わいだった。西町太子堂の赤い祠を過ぎ桜の植林を抜け、天海僧正を祀った慈雲寺の堂を過ぎると、大谷川が岩をかむ渓流へと姿を変える。沿道には天海僧正の弟子が奉納した「並び地蔵」が連なり、数えるたびに数が変わるため「化け地蔵」とも呼ばれているとか。

あたりの憾満ヶ淵は、男体山の溶岩による巨岩と大谷川の渓流により作り出された景勝で、岩上に造立された不動明王の真言が名の所以となっている。川に面した霊庇閣はかつての護摩壇で、対岸にもとあった不動明王像のたもとに「かんまん」と記した梵字が、今も刻まれている。寄ってみたものの、流れが激しくやや薄暗いこともあり、あいにく文字の判別はできなかった。

渓流から登り、日光宇都宮道路沿いの森の中の平坦な道をしばらく直進。糠塚稲荷神社の小さな祠を経て、つり橋の大日橋を渡ったたもとには、かつて建っていた大日堂跡の礎石が残る。大谷川に面し正面には庭園と池を配するなど、風光明媚な堂宇だったことが伺える。やや登ると日光街道へと出て東大の日光植物園もあるが、結構歩いたので日光植物園バス停から駅へと戻ることに。お疲れ様でした。