再び常盤橋まで戻り、渡り越して蚤の市通りを先へ。角には「寺内万年筆病院」との、古い屋号の店舗が。70年以上の歴史がある万年筆の販売と修繕の店で、今では数少ない万年筆の修繕技術を持つ店という。市役所と東武百貨店が一体となった施設の連絡通路をくぐり、開運橋でまた巴波川を渡り対岸へ。この辺りまで来ると川辺を歩く散策客はまばらで、鎮守の大樹がそびえる向島八幡宮付近には、昔ながらのタバコ屋やローカルな酒場が見られる、鄙びた市街地風景となる。

嘉右衛門橋を渡ると再び日光例幣使街道に合流、生菓子の廣田菓子舗や天海家住宅、「草遊園」とある蔵を使った花屋など、街道筋らしい構えの店舗が集まる一角だ。その中核をなす岡田記念館は、二十六代続く栃木市屈指の旧家の屋敷。岡田家は後醍醐天皇に仕えた武士の家系で、名主や日光例幣使街道本陣を務めたり、代官職の代行を行うなどの要職を歴任した名家である。代官屋敷を中心に建物や所蔵品を展示しており、入ってすぐの栃木一古い市村理髪館は明治4年創業、当時の椅子や理髪料金看板ほか、日東紅茶の自販機がレトロだ。

陽月亭は木造の店舗建築で明治期は麻屋・大正期は酒屋を営んでおり、野州麻の加工道具ほか「岡田石灰」の看板も。22代当主は渋沢栄一とともに古河市兵衛の足尾銅山経営に関与しており、鉱毒の解消事業で石灰の生産をしていたという。酒屋は群馬の正田醤油との取引があり、店舗にはホーロー看板ほか大正期の手動消化ポンプ車も見られる。隣接の畠山陣屋跡は日光例幣使街道に面して建ち、ここで代官職を代行していた。庭から入ると飛び石の向こうに裁きの場の白洲があり、座敷の役所机の背後には、雪舟十一世五楽院による墨絵の龍図が睨みを効かせる。一号館の蔵にはペリーの来航時に米を供出した返礼で徳川家から拝受した燭台、例幣使が使った膳、富岡鉄斎作の盆などの名品ほか、先祖がつけ続けた膨大な量の日記も所蔵されている。

巴波川沿いの嘉右衛門橋の手前には、22代当主の隠居所「翁島」があり、大正13年築の邸宅には檜の一枚板や屋久杉や吉野杉や黒柿や紫檀や黒檀などの名木がふんだんに使われている。2階の座敷からは富士山、男体山、筑波山が望めたことから「三山閣」と呼ばれたそう。庭は雑木林を生かした自然のままの風情で、巴波川から引いた池には鯉が泳ぎ紫陽花や若竹の小道など、あたりの喧騒から離れた静かな空間である。