塚田歴史伝承館の塚田家は江戸後期の木材回漕問屋で、巴波川から利根川を経て江戸の木場まで木材を運び商っていた豪商である。分厚い扉付きの窓がある白壁土蔵から、川沿いに120mほど黒壁が続く様は、欄干に鯉のレリーフが施された幸来橋からも、下流方面へ見渡せる。対岸の茶屋の前には長椅子も設けられ、座って見ると時を忘れ眺めたくなる景観だ。巴波川はここで狭まり、川沿いの遊歩道も民家の近くなど今風な市街地風景に。
倭(やまと)橋で再び市街へと入ると、「蚤の市通り」という名の通りへ。昭和28年に第一回蚤の市が開催、通りは昭和30年代に整備され、歩道には出店区画の番号が刻まれるなど、現在でも蚤の市が行われているようだ。沿道や付近の路地には陶器や骨董、手仕事、蔵の家具やなどのクラフト系の店が集まっている。山車のタイルに導かれた先には、とちぎ秋まつりで引き回される実物の山車3台が展示された、とちぎ山車会館の山車庫風の建物が建つ。
再び巴波川方面へと入り、常盤橋を渡った先には、両袖切妻造の店舗の左右に鹿沼産深岩石の蔵を構える横山郷土館が、川に面して建つ。麻苧問屋での利益をもとに銀行を営んだ豪商で、入ると店舗北半分の麻苧問屋の店先に、栃木県産の野州麻の束や麻殼、製縄の芯縄台など、当時の製品などが並ぶ。北側の麻蔵には江戸期の小倉百人一首絵屏風などの所蔵品、庭には懐かしい四脚テレビや藤家具が配された英国風ハーフティンバー様式の洋風離れが。店舗南半分の栃木共立銀行の窓口には、ガリ板の印刷機や出納帳や当時のチェックライターなどが並び、開かずの金庫から出てきた古銭が懐かしい。
郷土館の前は親水水辺になっていて、水鳥や鯉が間近に見られる憩いの場。ここから県庁堀に向けて漕渠が続き、栃木市立文学館のライトグリーンの洋館建築に至る。かつては栃木県庁があった場所で、移転後の大正40年に栃木町役場として建てられた木造2階建・塔屋付の洋風建築。付近には栃木県議会発祥の地碑が立つなど、かつての栃木の行政の中枢だった地である。水草が茂り鯉が泳ぐ県庁堀越しには、三角屋根に丸窓の栃木聖アルパン教会が見渡せる。道路の向かいには禊教の井上神社が、並木の参道の奥に小さな社を構えている。
倭(やまと)橋で再び市街へと入ると、「蚤の市通り」という名の通りへ。昭和28年に第一回蚤の市が開催、通りは昭和30年代に整備され、歩道には出店区画の番号が刻まれるなど、現在でも蚤の市が行われているようだ。沿道や付近の路地には陶器や骨董、手仕事、蔵の家具やなどのクラフト系の店が集まっている。山車のタイルに導かれた先には、とちぎ秋まつりで引き回される実物の山車3台が展示された、とちぎ山車会館の山車庫風の建物が建つ。
再び巴波川方面へと入り、常盤橋を渡った先には、両袖切妻造の店舗の左右に鹿沼産深岩石の蔵を構える横山郷土館が、川に面して建つ。麻苧問屋での利益をもとに銀行を営んだ豪商で、入ると店舗北半分の麻苧問屋の店先に、栃木県産の野州麻の束や麻殼、製縄の芯縄台など、当時の製品などが並ぶ。北側の麻蔵には江戸期の小倉百人一首絵屏風などの所蔵品、庭には懐かしい四脚テレビや藤家具が配された英国風ハーフティンバー様式の洋風離れが。店舗南半分の栃木共立銀行の窓口には、ガリ板の印刷機や出納帳や当時のチェックライターなどが並び、開かずの金庫から出てきた古銭が懐かしい。
郷土館の前は親水水辺になっていて、水鳥や鯉が間近に見られる憩いの場。ここから県庁堀に向けて漕渠が続き、栃木市立文学館のライトグリーンの洋館建築に至る。かつては栃木県庁があった場所で、移転後の大正40年に栃木町役場として建てられた木造2階建・塔屋付の洋風建築。付近には栃木県議会発祥の地碑が立つなど、かつての栃木の行政の中枢だった地である。水草が茂り鯉が泳ぐ県庁堀越しには、三角屋根に丸窓の栃木聖アルパン教会が見渡せる。道路の向かいには禊教の井上神社が、並木の参道の奥に小さな社を構えている。
