岡崎城の大手門の前を横切る国道1号が、かつての東海道。岡崎城下では外からの防御のため「二十七曲がり」と称されるようにあちこちで曲がりくねっていて、一部をたどってみた。国道1号を西へやや進み、龍駒橋で伊賀川を渡ると直角に南へ折れ、碑や看板の案内に従って板屋町へ入ると幅広の道が一気に狭まる。旧街道といっても民家が密集するごく普通の市街地で、案内板がなければよそ者が入り込んでしまっていいのかと思うほど、地元色が濃い佇まいだ。新田白山神社など小さな神社仏閣がパラパラあるのが、かすかに街道筋を感じさせる程度である。
東海道はその先をまた直角に西へ折れ、国道248号を渡ると松葉通りから八丁往還通りとの別名がつく。岡崎から西へ八丁(約870m)離れた、八帖村で作られたのが名の所以の八丁味噌の産地で、現在も八帖町の町名が残る。沿道や途中から分岐する八丁蔵通りに沿って、カクキューやまるやの味噌蔵や古い商家の店舗が並ぶ、昔ながらの街並みが残る一角である。水運に用いられた矢作川に突き当たると、手前が江戸・右が京と刻まれた道標が立ち、右に折れて川沿いに上ると先ほどの国道1号に交わる。東海道は矢作橋で川を渡り、西へと続いていく。
東海道はその先をまた直角に西へ折れ、国道248号を渡ると松葉通りから八丁往還通りとの別名がつく。岡崎から西へ八丁(約870m)離れた、八帖村で作られたのが名の所以の八丁味噌の産地で、現在も八帖町の町名が残る。沿道や途中から分岐する八丁蔵通りに沿って、カクキューやまるやの味噌蔵や古い商家の店舗が並ぶ、昔ながらの街並みが残る一角である。水運に用いられた矢作川に突き当たると、手前が江戸・右が京と刻まれた道標が立ち、右に折れて川沿いに上ると先ほどの国道1号に交わる。東海道は矢作橋で川を渡り、西へと続いていく。
