予定が空いたこの日は、岡崎を撮り歩くことに。ほぼ以前歩いたルートをたどり、家康公の城下町と東海道筋、そして八丁味噌の里と巡った。名鉄の東岡崎駅から市街を横断する乙川沿いに、河岸の緑あふれる涼しげな道を行く。木橋の桜城橋や、モダンなデザインながら葵の紋が橋塔に刻まれた殿橋など、道中に架かる橋の造形や所以がおもしろい。
桜城橋のたもとからは右手の丘に向けて緑地帯が続いていて、点在する徳川四天王の名場面像が歴史好きにはたまらない。三方原の退き陣でしんがりを務め家康を守った、蜻蛉槍の本多忠勝。その際の武田の城攻めに対し、陣太鼓を打ち篝火を焚き開門する「空城の計」を策した酒井忠次。家康公の像はここにはないのが、かえって家臣たちのキャラを立てる公園である。
乙川沿いに戻り、家康の改名ゆかりの菅生神社の境内を抜けて、菅生曲輪を右に見て茶屋が建つ隠居曲輪から岡崎公園へと入る。空堀の清海堀など、石垣や堀の遺構はよく残っていて、本丸には忠勝ゆかりの龍城神社、その隣には岡崎城がそびえる。復興天守ながら、展望台からは南と西が川に守られた、段丘に立地する城なのがよく分かる。公園内には家康像が多く、将軍像と竹千代の像が並ぶ出世のベンチに、水辺に立つ改名前の若き家康像と花壇に立つ壮年期の威厳ある像が対峙するなど、世代と立場が比べ見られるのも興味深い。大手門に近いところにあるのが、三方原で大敗した際の「しがみ像」なのが、なんとも不思議だが。
桜城橋のたもとからは右手の丘に向けて緑地帯が続いていて、点在する徳川四天王の名場面像が歴史好きにはたまらない。三方原の退き陣でしんがりを務め家康を守った、蜻蛉槍の本多忠勝。その際の武田の城攻めに対し、陣太鼓を打ち篝火を焚き開門する「空城の計」を策した酒井忠次。家康公の像はここにはないのが、かえって家臣たちのキャラを立てる公園である。
乙川沿いに戻り、家康の改名ゆかりの菅生神社の境内を抜けて、菅生曲輪を右に見て茶屋が建つ隠居曲輪から岡崎公園へと入る。空堀の清海堀など、石垣や堀の遺構はよく残っていて、本丸には忠勝ゆかりの龍城神社、その隣には岡崎城がそびえる。復興天守ながら、展望台からは南と西が川に守られた、段丘に立地する城なのがよく分かる。公園内には家康像が多く、将軍像と竹千代の像が並ぶ出世のベンチに、水辺に立つ改名前の若き家康像と花壇に立つ壮年期の威厳ある像が対峙するなど、世代と立場が比べ見られるのも興味深い。大手門に近いところにあるのが、三方原で大敗した際の「しがみ像」なのが、なんとも不思議だが。
