山門から出て、一直線にのびる宗光寺小路を歩きます。そばには小さな祠も構え、小路の道しるべの様な雰囲気です。宗光寺小路の沿道には、古民家が建ち並び、明真寺は薬医門の先に、三連アーチの教会風の建物がモダン。明真寺から折れた小道は阿房坂で、長屋風の民家の前を抜けると登り坂に差し掛かり、瓦塀と石垣に挟まれた小道を進んでいきます。途中で振り返るとかなり急な登りで、頂上には、坂の名前の由来に関する碑が。秦の始皇帝が計画した大宮殿に由来している、由緒ある名です。傍の地蔵堂には、ドラマの舞台となった記録も。さらに上には、先程下ってきた大島神社の連立鳥居が見えます。

ここはちょうど阿房坂の峠で、下りはかなり急で生垣に沿い、まさに落ちるように降りていきます。坂のふもとから、民家の裏口をたどるような路地を行くと正法寺。江戸時代に三原城主の祈願所だった「三原4ヶ寺」の一つで、本堂の脇に茂る、ソテツの大樹が南国風です。灯篭の火袋には、鹿の彫刻が。山門から見下ろす正法寺小路。庶民的雰囲気の参道です。

正法寺小路を出ると、西国街道の広い通りに出ます。西国街道は京都と下関を結ぶ、江戸時代の山陽道の別名。三原城の北側を東西に抜けており、沿道の本町から西町は小早川隆景の時代に整備されました。かつては本陣も置かれ、城下の街道筋として賑わいを見せました。沿道には擬洋風の店舗や土蔵造の商家など、古い店舗が混在。黒壁の建物の金尾病院には、旧字のレトロな看板が。沿道には小路が多数あり、寺社側と海側へ抜けられます。

沿道にはカラフルな配色のガラス扉が目を引く輪業店や、レトロな絵の看板の下には五月人形が並ぶあまの玩具店。昭和元年築の山脇邸は、かつては呉服屋や銀行に使われた木造建築。現在はカフェレストランになっていて、ピザやパスタ、創作料理を提供してます。町中華らしい佇まいの大衆食堂、本町食堂の先には、三原銘菓のヤッサ饅頭本舗。薄皮と粒あんの素朴な饅頭が人気です。街道はさらに、西条を経て広島方面へと続いていました。