そのまま四ツ道路を進み、YMCAの年季ある木造建築を見て呉線のガードを潜り、青山通りを進む。あたりは並木が整備され、右正面には入船山記念館の緑も望め、気持ちよく歩ける。先の左にある国立病院呉医療センターはかつての呉海軍病院で、作品では北条のお父さんが入院していた。跡を示す石碑の隣の石段は、すずさんと姪の晴美が見舞った際に登った場所。このあと二人は、戦艦大和を建造した現ジャパンマリンユナイテッドの船渠を見下ろす「大和の塔」そばを歩く途中、直近の焼夷弾が炸裂する悲劇に遭うのである。

国立病院呉医療センターのすぐそばの呉市入船山記念館では、旧呉鎮守府司令官長官官舎などが保存されている。門をくぐり先へ続く舗道は、呉市電の軌道敷の石を利用。左に白い番兵塔、右の旧呉海軍工廠塔時計は当時の時計台が現存しており、秒針がスパッと動くのが特徴。旧高鳥砲台弾薬庫は総石造で、周囲の壁を石組みで丈夫に作り、天井を壊れやすくして爆発したら爆風は上へ抜けるようにしてある。四十五口径高射砲の砲身などの兵器の展示の先、旧呉鎮守府司令官長官官舎は明治38年の建築当時の姿に復元、国の重要文化財となっている。

建物は和の部分が私邸、洋風部が公邸で、境目のドアが和洋折衷。ここを境に、廊下の天井の高さが違う。洋邸には広いダイニングがあり、食事は主にフレンチ。軍はイギリス式だが料理はまずいので、海軍の食事はフランス形式だったという。壁や天井の金唐紙は、乾燥した桜材に模様を掘り込んだ版木棒に、手漉き和紙を巻いて、黒豚の毛で作った刷毛でたたき、でこぼこをつけて着色したもの。金属箔にワニスを塗って金色にしたことから、その名が付いた。周囲は木々が生い茂っているが、かつては和邸から呉港や教練風景が見下ろせたという。

もうひとつ、ちょっとほのぼのした作品の舞台が、意外な聖地風に。坂を下ってみましょう。